「よく見ろ」と問う声がする。「グリーンゾーン」感想


「グリーンゾーン」を見てきた。頭を悩ませる作品だと思う。
イラク戦争の発端となった大量破壊兵器の有無を巡る虚偽からはじまる、9.11以降のアメリカの物語。
米国では興行に苦しんでいるらしいが、さもありなんという気もする。
実際、面白いか? と言われると、ポジティブ狂に水をひっかける底意地の悪い話なので、うーん、難しいッスわ、現実って、と言わざるを得ない。
でも、闇をライトで切り裂く軍用車両とか、監視映像とかちょうカッコイイ! 見ることについてのポール・グリーングラスのフェティッシュはあいからずだった。


ちなみに、今回も手持ちカメラです。
「今、そこにいて見る」ためのドキュメンタリー的臨場感と相変わらずザックザクと判断&アクションでカメラ揺れまくりんぐ、チャキチャキ編集のカットの多さ。
えーっと、すいません、後半ぐらいから頭が痛くなりました・・・。ボーン・アルティメイタムよりカット数少ないはずなんだけど、後半、暗いシーンが続くので異様に疲れるんだよなあ。


あと、エンドロールに「IN ASSOCIATHION WITH」と提携先として電通の名前が出ていて、「WHY?」感が全開に。
まあ、確かに映画のグレードのわりに異様にメディア露出してるけど、マット・ディモンとグリーングラスのコンビってまた渋いところを選ぶなあと思った。


監督のポール・グリーングラスのこれまでのフィルモグラフィを考えると、「ユナイテッド93」からここまできたのか、と非常に意義深思う。
英国人であるグリーングラスが始めた「ユナイテッド93」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の9.11三部作の延長線にある作品だからなのか、アメリカに対してかなりシニカルな基調が貫かれている。
また、ポール・グリーングラスにとって映画はアクチュアルなものであり、この作品のクランクインが2008年半ばにはアメリカ大統領選が行われているのも、時代精神の持ち主である彼(と彼の後援主たち)の背中を押したのだろう。


ストーリーが「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX」を彷彿とさせるのは、この話がイラクの話ではなく、アメリカ対アメリカの話だからだろう。
つまり、ある保守的な信念に基づく一定以上のパワーをもつアメリカ人の、本来その暴力装置であったはずの主人公が、アンチ保守のカウンターとなっていく、制圧のち、ところにより糾弾という模様だからだ。
まあ、そう言う意味じゃ、大局的には負けの話であり、日本人好みといえなくもないので、電通はこの辺の匂いに引き寄せられたのかしら。
ていうか、すげー気になるんですよ。なんで電通なの? と。
正直、イラク戦争の原因となった大量破壊兵器があったの? なかったの? というサスペンスよりよっぽど気になりますよ。


主演のマット・ディモン。今作でも「なぜ?」を追う青年を演じている。ジェイソン・ボーンと違うのは、自分というアイデンティティを失っておらず、むしろ彼自身が自らの揺るがぬアイデンティティーを保つがゆえに、「なぜ?」に立ち向かっていく姿が描かれている。
しかし、彼は最後まで事態の中心に座ることができないで、物語は幕を閉じることになる。最後の最後で一石を投じる振る舞いを見せるが、結局、それは彼が関与できないために、そうせざるをえなかった痛みの分かち合いでしかない。
これはアメリカ人=自分の物語ではないからだ。


劇中で二人の、お互いが相容れないイラク人がでてくる。
一人は、元イラク人兵士で、ケガにより退役して失業中の青年だ。若者といってもいい。
彼は偶然、雲隠れして、アメリカから身を隠しているイラク軍の上層部の密談に向かう姿を見かけて、それをアメリカ人軍人である主人公に知らせる。
その時、我々は彼のことをこのように考える。
報奨金目当ての若造だ、と。
だが、彼は叫ぶ。
金なんかのためじゃない! オレはこのむちゃくちゃになった国を、それでも愛しているから、お前ら=アメリカ人に、彼ら=イラク軍上層部のことを知らせたんだと。
その私心のなく、素朴に過ぎる言葉は、イラクを悲惨な有様に変えたすべてのモノを告発している。
そのため、安易によぎった見くびりを射貫く言葉でもあるのだ。

そして、もう一人が出てくる。
大量破壊兵器の有無の決定的な情報を握るアル・ラウィ将軍。権力をもつ老人である。
彼は国防総省の高官に接触し、大量破壊兵器の製造・保管の現状について述べていたが、その目的は、イラク新政府での新しい地位を求めるためである。*1
この正反対の行動原理をもつ二人のイラク人の潜在的なコンフリクトは、ひっくりかえった途上の世界であるイラクのなかで、アメリカ人がもたらそうとする民主主義と自由という名前の安定が、失敗する補助線となって、劇中に影を落とす。

そして、この二人が遭遇した時、アメリカ人である主人公は、それまで彼なりに積極的に事態に乗り出していたところから、まったくコミットする力を失ってしまい、立会人ですらない単なる傍観者として姿を変える。
それは結局、アメリカが開いた新しい議会で、コントロールできない複数の宗派、民族のカオスであるイラクが暴露される姿ときっちりかぶさってくる。


この物語は、アメリカ大反省会の一作品であると同時に、アメリカが結局、理解できないでいるイラクアメリカから眺めた物語であるわけである。
だから、やたらと説明しまくりな数多い台詞も、いくら言葉を連ねても、見たいものしか見ない人々の前では虚しく通り過ぎるだけなのだと、ラストに見せる主人公の気骨すら、皮肉めいた視線で眺めているのだろう。

*1:だが正直、彼については作劇として切り捨てられてしまっており、彼が新政府の新しい地位を得て、何をするのかという実際の動機はよく分からない。大量破壊兵器のないならないで、フセイン政権を打倒するためにアメリカと組んでクーデターを検討していたのか? まあ、もう一人アメリカの肝いりでやってきた亡命イラク人とかもよく分からんヤツだったけど