「ダークナイト・ライジング」 感想 1/2

ダークナイトライジング」見に行きました。岸和田IMAXにて。
大阪の南側の、IC降りてすぐのところに駐車場あって、地元からIMAXシアターが近いところにできたのがまず喜ばしいっすよね。
シートも広いし、まあ、振動シートはバックサラウンドの音がちょっと微妙なんだけど、前面で音を浴びるようなさすがの音響は素晴らしかったです。
映像は特に言うことないです。序盤からぐいぐい高解像度のキラキラしたルックで画面全体で映画を見る喜びを味わせてもらえる。
カメラの動きも、IMAX撮影の嚆矢となった前作「ダークナイト」だと奥へ奥へと構造物にフォーカスしていくような縦向きの動きが多かったように感じるが、今回は水平軸の動きもあって、目が豊かになるし。
なんにせよ、今までみたく、わざわざ箕面行ったりすることなくIMAX見れるのは良いことだなーとか思いつつ。
ここから先は壮絶にネタバレです、と前置きしつつ。


●前作とか前前作とか

オレ自身は巷のわりかしよろしくない評判に対して、結構好きなんです。「バットマン・ビギンズ
映画としてたいがいつまんないんだけど、、「一人の狂人の観察日誌」として最高に楽しい。
ブルース・ウェインという超規格外の金持ち。つまり、アメリカという国に生まれたホンマモンの貴族のお坊ちゃんがですよ、海外をほっつき歩きながら成長して、さあ、吾が家に帰ってきた。
そして、「この全米一、物騒で危険で、とにかく悪徳にまみれた故郷を救わなくてはならない」と気づく。
彼が取りうる手段は、一つ。
コスプレして、悪をしばき倒していくことだ!!
……
いや、ちげーだろ、と。
そこはお前、持ち前の財力を遣って、社会福祉を充実させたりとか、そういう、まあ、なんだ、その、人道的なアプローチというか、政治筋の方法論というか。そういう筋道つけていくのが必要なんちゃうんかと。
それが貴族に生まれたものの義務なんではないかと。
誰しもがそう思う中、あえてのコスプレファイター。
なぜ?
パパとママの愛情が足らなかったからなの?
まあ、実際そうなのかもしれんのが、そうだとすると身も蓋もないわな。周囲も彼が海外に出奔してしまう前に、カウンセリング受けることをすすめてあげるほうがよかった。
そうすれば、過たず正しき富豪のノブレス・オブリージュを実行できたかもしれないのに。
それがよりにもよって、コスプレファイター。
だが、それがいいわけですよ。
彼がバットマンになるために嬉々としてマスクを用意したりするシーンの嬉々とした様子。
特に、最高なのは、コウモリ型の手裏剣を自ら製作して、研いでいるところ。そう、画面の奥に配置された万力が物語るマニュファクチュア。
このブルース・ウェインお手製のバットマン印の手裏剣を思えば、それは本人はむっちゃくちゃ真剣なのに、傍目にはどうしようもなく錯乱しているようにしか見えない絵面であると言える。
そういう、ど真ん中の狂気を、手作業で丹念に作り上げられた貴族の道楽をニヤニヤと眺めるエンターテイメントが「バットマン・ビギンズ」だったんです。
だから、続編である「ダークナイト」の楽しみ方もそんなに変わらなくて、こっちはこっちでジョーカーという狂人(というカテゴリに収めなくてはならない異なる認識体系をもつ存在)がキャッキャと跳ねまわるのを拍手喝采する映画だったわけです。
だから、「善と悪の相克」なんていう重苦しい話、というよりはむしろ突出してロマンチックな狂気を楽しむわけですね。
そうすると我々が考えなくてならないのは、「バットマン・ビギンズ」において、コウモリ型の手裏剣を自作するバットマンと、「ダークナイト」において、銃とホッケーマスクを身に着けて犯罪と戦うコピーキャットたちとの差異は「狂っている」という前提に立てば、ほんのわずかでしかないのに、なぜバットマンに物語はフォーカスするのだろうか、ということです。
それぞれの作品には、冒頭で象徴的なセリフが並べられます。


人はなぜ落ちる? 這い上がるためだ。 (バットマン・ビギンズ

死ぬほど痛い目にあった奴はみんな、イカれちまうのさ。(ダークナイト


ひとつは純然たる教訓として、ひとつは金言のパロディとして表現されているこのふたつはとても似たことを言っている。
無論、前者を退屈であるといってしまい、後者をより刺激的に感じることのできる、その感受性の豊かさが我々にあることを喜びながら、それとは別に、なお考えるべきです。
つまり、普通であるNormalと普通ではないstrangerの差異とは何なのか。
なぜバットマンやジョーカーは物語たりえるのか?
その答えを描こうとしたのが、今作「Dark night rises」であったわけです。
ところで、どう考えてもライジングではなかったですね。実は、「ライジング」である理由が何かあるんじゃないかと思ってたんですが(後述)、単なるいつものクソ邦題でした。控えめに言って、邦題担当者は死ねって感じです。


● スタッフとかキャストとか

監督は言うまでもなく、クリストファー・ノーラン
リアリズムの人である。リアリズムってなんだろう? まあ、ケレン味あるフィーチャーについて、くどくどと理屈立てしちゃう人、ぐらいの意だ。
律儀ではある。しばしば退屈なことがあるんだけど、出ましたねー。今回は。悪い方のノーランが。インセプションhttp://d.hatena.ne.jp/y2k000/20100725#p1 の時は出なかったのに。
やっちゃいましたねー。とにかく長げーよ。164分。
無論、良いところもあって、ノーランの良い所っていうのは、あらかじめ筋道立てたフィーチャーを描くとき、あえてカメラや演出・スクリプトの時制や人称を乱れさせて、観客にぐっと引きこませる所。
ハマると面白いんだけどなあ。
だから、だいたい「序盤は最高。中盤でだるだる。終盤でなんとか盛り返してフィニッシュ」ってパターン。
今回も、畳むのが本当にギリギリというか綱渡りというか、ヒヤヒヤしながら見てました。
そうそう。最近まで知らなかったんですが、この人007好きなんですってね。
それ聞いて、ああ、「バットマン・ビギンズ」のああいう感じ、つまり、妙なおもちゃ自慢=確実に劇中でぶっ壊れるためだけにモノレールがぐるぐると走ってて、治安悪いって言いながら女検事がSPやなんやかんやも付き従えずにそのモノレールで通勤していて、悪徳警官が巡らしたり、マフィアが横行したり、ホームレスがたむろする全米ナンバーワン治安悪い街並み=バートン版の「セット組みされた、どこでもないファンタジーとしてのゴッサム」を横目に引きずってるようで、その実、がっちり描けているのが現実世界でしかないという、舞台全体が中途半端な特撮空間である理由がストンと腑に落ちたんですよね。
ああ、バットマンジェームズ・ボンドがやりたかったのね、と。
後、どう考えても押井守の作品に詳しいですよね。「インセプション」はビューティフルドリーマーだし、「ダークナイトライジング」は「パトレイバー2」だし。異論は認める。


脚本は、ゴイヤー師匠。多分、本作の原作コミックに対する目配せの大半はこの人の仕事です。でも、ブレイド3については許したわけじゃないからな。
今回はモチーフとして、「天空」と「地上」と「地下」を行ったり来たりするようにできているんですが、その辺になると、ノーランbrothersの仕事なのかなーという感じ。神話的な物語と、原作コミックと、犯罪映画としてのあり方の乖離がけっこう気になった。だから、デキとしては全体としてはバラッバラだけど、必要な要素は拾ってて、モチーフをきちんと使えているので、要するに標準的な脚本。webでアカデミー賞用のスクリプト上がってこないかな。


音楽。ジマー節。以上。


キャストで目立ってたのは、やっぱりアン・ハサウェイ。彼女のキャット・ウーマンはどの角度から撮っても美しい。作り物みたいな顔立ちと体型が、むしろコミック的な快楽につながっていている。後、猫耳にまで理屈をつけてしまうセンスにはうなりました。そこまでか・・・そこまでせんと気が済まんか・・・だが、やるな、ノーラン・・・その発想はなかった。
後、トム・ハーディ。最初のピクチャールックでマスク姿見て、どうかなーと思ったんですが、動いているのを見たら、マスクがあることで凄みが出てた。序盤から中盤まで徹底した「外道で悪党」を貫いており、「もしかしたらこれはジョーカー超えもあるかもしれんね」とか思ってたんですが・・・・・・。
トム・ハーディはイケメンなんですが、「インセプション」の妙にオヤジ感あふれるキャラといい、ノーランはひどいよね。

クリスチャン・ベール。老けたなー。よく考えたら、かれこれ10年ぐらいバットマンやってるんですよね。相変わらず緩急のある演技で上手い。
マイケル・ケインは、今回は乙女度高かったですね。ゴードン演じるゲイリー・オールドマンは、まあ、あんなもんかな。でも、さすがに若いヤツに詰め寄られたときのキレ芸は往年の「ただごとではない危険な」オーラが漂っていました。安定のキレ芸クオリティですね。
それより、キリアン・マーフィーですよ。なんなんですか。あれは。あのスケアクロウは完全に出オチじゃないですか。劇場で俺一人だけ声をあげて笑っちゃったよ。ずるいなー。あのタイミングはずるい。「判決死刑。方法は追放!」は一生に一度は言ってみたい名言です。

マリオン・コティヤールはどういうことなんでしょうね。インセプションといい、すべてマリオン・コティヤールが悪い、といってしまうかのようなノーランの感覚。まあ、いかにも魔性の女っぽい女優さんですけど。とりあえず次回作もマリオン・コティヤールが出てきたら、最初に疑ってかかることにします。

まさかのリーアム・ニーソンが登場したときに、オレの頭によぎったのは、「高度に進化したリーアム・ニーソンは、あらゆる映画でフォースの導き手となることに区別はない」という言葉。クワイ=ガン・ジンとしてのキャリアが、まるでクリスチャン・ベールの今後を占っているかのようです。


(長くなっているので次回に続く)