シン・エヴァンゲリオン見てきた。

シン・エヴァンゲリオン見てきたので、備忘録的にまとめておきたかったので、ちょう久しぶりにはてなブログに書いておく。特にネタバレには配慮していません。

 

 

完結編たる本作は再演と再生/救済の物語だった。

「あらゆるエヴァを包括し、そして許す」

オトナとコドモの対立軸がエヴァに延々と引かれた一線だったのだけど、それを乗り越えながら、踏みにじることなく手を差し伸べた。

多分、この作品を見た人は、少しだけ人に優しくなれるのかもしれない。

そういう祈りというか、願いを感じさせるメッセージを内包してたと思う。

 

それはなろう系なんかにも感じる「孤独なコドモたちの擦り切れて、疲れた魂を慰撫する」サブカルチャーの文脈の中に回収されているという意味では凡作だと思うのだけど、それこそサブカルチャーの役割でもあるんじゃないか、という意味で人の心に届き残る傑作たりえていると感じている。

 

見終わったあと、なんとなく中島梓「コミュニケーション不全症候群」を思い起こしていた。

 

 

(以下、備忘録)

 

・冒頭のパリ作戦は艦底に貼り付けた「ヤシマ作戦」のときのシールドの山で気づきましたね。ああ、これヤシマ作戦のネガを役割入れ替えて再演するんだな、って。

 充電使徒のフレンチカンカンはいくら舞台がパリだからって悪ノリすごない?って感じだった。(サクラ大戦4のOPの超作画を思い出しながら)

 8号機のアクションはちょっと軽めだったかなー。

 というか今回全般的にカメラまわしすぎてるのとVS無数の敵ってパターンが長いのでアクションは軽かった。最終盤のリフレインで描かれる初号機初出撃のときの「一歩歩く→公衆電話がゆさぶられる」みたいな重い演出は少なかったかな。唯一感じられたのは「ヴンダーをぶちぬく4号艦の衝角」あたりか。

 でも、パイロットキャラの首振り→回り込み表現とかのエフェクトなんかは目が豊かになりまくるので素敵だった。

 エッフェル塔ぶっ壊れる! パリっ子の反応が心配になる→それどころか街が実はすごいことになってた!→ええ・・・

 ユーロネルフのロゴカラーが青色なのは、敵対するネルフのカラーリングが赤なのと対比的な表現になっているのとカームカラーとして物語の節目を表していて印象深かった。赤→青への変化はわりと見かけるカラー演出となる。

 

・とりあえず第三村の表象は明らかに東北震災後の被災地域なのだろうなという印象をうけた。また人々の営みについてケアされており、(これは「序」のときのヤシマ作戦のシークエンスでもケーブルを引き上げる作業員などでも書かれていたが)、簡素なポリ製浴槽などが特に印象に残る。

 それでいて、よくある映像作品における理想郷としてのコミューンの白々しさ(そういやこないだ久しぶりに「となりのトトロ」を見たけど、相変わらずヘドが出るほど嫌いなのは変わらなかったな・・・)はあまり感じられなかったのはなぜかな? と思ったときに図書室や先述するポリ製浴槽など、知識やありもので賄う知恵をどこか肌感覚で共感できるものとなっていたからかもしれない。

 

綾波レイのそっくりさんについては、アニメキャラとしての異質さがよく出ていたのが他の第三村の年上の女性たちとのスタイルの差だったな。そこでふいに顛末まで含めイヤーな読み筋を思いついてしまっているのでとりあえず書いておく。なにせ備忘録なので。

 基本的には以下のエントリからの読み筋の延長である。

デス魔道エヴァQ - 指輪世界の第五日記

 

「都会での激務でヘビーなブラック労働環境に疲弊して、なんだかプンスカしてる似た境遇っぽい女の子と、色々ひどい目にあって失語症離人症を患った男の子とともに地域おこし協力隊に応募したうら若き女の子。

 精神的に幼児退行しており、服装も着の身着のまま辺鄙な田舎にやってきた。(当然、服装が黒なのは服のことを考える余裕がないためである)

 地元の気のいいオバチャンたちに囲まれながら野良作業に精を出すうちに血色の悪い顔色もだんだんとよくなっていく。

 お姉さんや子供たちとも徐々に打ち解けていき、失語症の男の子が気になるようになるなどカントリーライフは順風満帆に進んでいくかと思われた。 

 しかしながら、田舎はダニなども多いこともあり、また夏の真っ盛りは蒸し暑く、もともと虚弱体質のお嬢ちゃんは体質が合わなくなっていく。

 精神的な退行も改善される仲、地域おこし協力隊に応募して生活費が賄われる補助金の終了日も近づき、後ろ髪をひかれる思いを抱えながら彼女はブラックに汚染された精神が立ち直ったことを表すように白い服を身にまとって田舎を去るのだった!」

 

・さて、第三村といえば、キャラクタのカップリングを好むファンからすると阿鼻叫喚になってそうなケンスケとアスカの関係性にはTV版の加持とアスカの恋慕の関係性を引用/再演していたのが明らかだった。

 ケンスケのキャラデザも加持に寄せられており、かつ加持がもつ軽薄さ/後ろ暗さをオミットして人情味あるキャラに仕立て上がっていたのが印象的。

 そういった意味では、今シリーズの加持は「世界の救済」に最後まで奔走する文字通りのヒーローとしてカリカチュアされた存在だった。なんかインデペンデンス・デイ的なスピンオフがありそう。

・一方、トウジはケンスケとは異なるしたたかさを忍ばせるキャラとなっており、漫画版の加持の少年時代のニュアンスを感じさせていた。

・ケンスケ・トウジともに「同世代だったクラスメイトを新しいオトナ役として引き上げることでシンジの精神の回復を見守る」ことに成功しており、ここらへん素晴らしい作劇の妙味があったと思う。

 「ダメなオトナ/振り回されるコドモ」というエヴァの対立軸に対する一定の回答であると思うし、終盤以降の再生/救済展開の補助線にもなっている。

 

・中盤以降の諸々の虹色表現は「プ、プレミア演出~」って感じ。そのうちパチやらスロでも見られるでしょう。

 戦闘描写についてはあんまり今作は語るところがない印象。(コマ送りにすればまた違うかも)。ただし、ブンダーの同型艦が繰り出す使徒のビーム音がめっちゃ聞けたのが嬉しかったです。(IMAXだったし)

 

「冬月先生、戦隊運用強すぎ。なんかガーゴイルと役間違ってません?」

 とりあえず「仕事はこなす。ゼミ生は救う。両方やらなくっちゃあならないのが「教授」のつらいところだな」というムーブを要所で決めていく。コトの決着まで含めて、全方位的に働きすぎている・・・。

 

 ヴィレ側で働きすぎといえばリツコさん。

 旧劇と違う再演なので今回は銃を撃つのがノータイムだった。あと、ミサトさんはゲンドウが冬月にやるのと同じで「リツコ・・・あとは頼む」をやっちゃうのはリフレイン・・・なのかなあ。

 

・旧劇では狂犬そのものだった赤いのがサクサクと主人公との話を清算したと思ったら、その後ろから緑色の頭サクラなあいつが猛追してきた。正負の感情ががグルグルまわりすぎて、生の感情が全開。パニックモード。きょ…狂犬すぎる…! まるで往年のアスカさんを思わせるかのような…

 

「Qのときからオプティックブラストを放つようなグラサンしやがってと思っていましたが、本当にビームを放つなんて・・・」という事態に驚きというか「やりやがったなッッ…」という感想がまず先に。

・第13号機とのバトル直前で、ビルに腰掛けるめちゃくちゃカッコいい第13号機。→グダグダのバトル。……ああ・・・特撮、撮りたかったんすよね……

 だって、モーションキャプチャのところのエンドロールでカメラマンに「鶴巻和哉」とか「摩砂雪」とかあるもん。絶対あんたらキャッキャしながら現場でカメラまわしてたでしょ…

  とりあえずミサトさんの部屋が酒とゴミが満載の汚部屋であるというのが人類の共通認識であるというのは本当にやめてあげてほしいと思う。

 

・このへんからプライベートフィルム感が高まってくるとともに「おいまさか…」という不安と高揚が現れはじめる。

 劇中でも旧劇の再演がはじまり、「まー、さすがにわざわざ『現実に帰れ』話するにしてもセルフオマージュまんまはないでしょ」と一安心する。

 しかし、マネキンとかはなんだかケツの収まりが悪いというかなんとなくいたたまれなくなる感じが…

 

・ゲンドウちんは漫画版のようなエディプスコンプレックスでくるんでくるのかとおもえば、わりと庵野秀明が一部分自己投影された話だったかな。

 だから、幼少シンジ=自分が捨ててきたものを抱きしめるシーンに感動があるのだと思う。

 エヴァをみて、そのあと結婚して子供をもった父親世代もたくさん見に来てた。きっとそういう人たちにとってのわずかでも救いになるといいのになーという思いが籠もっていたいいカットだった。

 一方で息子のなかに妻の面影を見つけたら、すぐに下車するゲンドウちん。

「いや、おまえ・・・もうちょい悪行賃払ってから降りろや」

 なんだったのお前感が俺の中で最高潮に。さっきの感動返せ。

 

・このへんぐらいから、「旧劇の再演という部分もそうだけど、これって少女革命ウテナじゃね?」感が強まる。

 キャラクタと戦い、カウンセリングし、一人ずつその呪いを解放していく話。あるいは「クロスチャンネル」だったり「化物語」だったり。

・案の定、シンジくんは次々とキャラクタの呪いを解放していく。

 とくにアスカについては旧劇を踏まえると素晴らしいところに落着したなあと感心していた。ぐるぐると渦巻いている生の感情に整理をつけて、再確認し、それから多分それぞれ違うところに足を踏み出していく。そして、もうきっと交わらない。最も美しい別れの姿だと思う。

 

・その意味において、庵野秀明ももう60歳だっけ? 老獪になったよなーと感慨深いものがある。キャラクタの呪いからの解放という演出表現にテーマを仮託することで、ソフティケートされた『現実に帰れ』というメッセージを観客に婉曲的に伝えている。それはカントク自身にも向けた解凍をも意味しているのかも。

 

・だから、オチについて「やられたー」「そうきたかー」という感じだったけど、これでよかったのだと思う。

 全体のシナリオとして見るとびっくりするぐらいとりとめなくて大味なんだけど、ただあまりにも長期間、アニメーション業界で君臨し続けたコンテンツの一つの節目としては爽やかだった。

 

・昔、押井守がメカフィリアかなんかで「庵野エヴァをまたはじめたことでエヴァの呪いにかかってしまった」という感じで評していたけど、とりあえず呪いの解呪を自ら行った庵野秀明が次撮るのは何なのかなーという感じ。

シン・ゴジラ」の撮影にかかるエピソード聞く限りだと、「今度はシン・ウルトラマンの現場に使徒襲来か!?」って感じなのかもしれないのだけども。