飛翔賞(http://q.hatena.ne.jp/1231862453)個別評

イイですね。この速度。最速の投稿にして、重力加速度にとりつかれている男の話。なぜかバキ調の言語センスといい、実にいい滑り出しだと思いました。
惜しむらくは物語ではなく事実を述べているだけな点ですが、この切れ味の前にはそんなものは不要でしょう。

 主催者として真剣に悩みに悩みきった作品。
 これが出てきた瞬間、「YOU、もうこれでイイじゃん。これ大賞にして、回答締め切っちゃおうぜ!」と唸ることに。
 コミックの強みである文字と画像の連動を、メタと悪ふざけと悪意と稚気と見事なオチで締めたところが見事すぎる。
 事実、この作品が出てきてしばらく、回答者からの応答が途絶えており、「すわ、これが言葉の暴力か!」と戦慄することしきり。
 結果的に、はてなポイントは優秀賞より多く、しかし、あくまで特別賞扱いにすることを病院のベッドで決意する。そんな作品でした。

 ダブルミーニング的。少女に何があったのだろうか。グライダーを使って、自殺したのか、ただ空を希求したのか。いずれにせよ、地上ではない、どこかへ行こうとして、墜落する話は物悲しい。
 ところで、これで1番目の投稿から三連続で落ちる話に。この時点で、なにかこの企画には不穏なものが漂っていたのは言うまでもない。

 またしても、またしても落ちる作品! まるでシンクロニティッッ。レミング集団自殺ッッッ!! 
 スカイクロラ的な、森博嗣的な、落下しながら現状を自覚する若者の幻視/覚/想。どことなく宮沢賢治的でもある投げやり/童貞感とでも言うべきか。

 はい、ようやく出ました。清々しい作品。いいですね。お口に優しい味です。明るく楽しくおバカな子供たちの探求。冒険ってのはそこから始まるのです。キラキラしている主人公の笑顔と、やや引き気味の友達の顔が並ぶ校庭が目に浮かびます。
ところで、163kgというやたら具体的な数字はどういう基準での試算なのでしょうか? 気になるところです。

 うん。オッケー! そのツンデレいただきだ!
 登場人物の心情/真情をのぞき見る我々読者の愉悦。ツンデレというのは、理解のための動物なのです。他者を重んじなければならないのに、他者が理解困難な空気読み時代において、コミュニケーション不全気味なのに、なぜかコミュニケーションがとりやすい。その救世主というのは、要するに、好き好き大好き超愛してるけど口には出せない、そんな年頃の女の子なのです。ゆえに、ツンデレは年頃の女の子ではなければならず、ゆえに萌えるのです。

  • No.7

 割愛

 不毛な闘争をコミカルに描こうとして火傷している。そんな風情。
 腐女子←→オタクの対立がテーマとなっており、現代のオタク事情が窺い知れて楽しい。
 なんかよく分からんが、カルチャー化が進んで、ライトなノリが許容されつつある現代オタク(その様は天国の住人にも似て)の気楽さと、一昔前のオタクのごとき、弾圧をいまだ受ける腐女子の憤り。
 まあ、バットでホームランされようが、結果的に飛翔するのが、オタクでしかないというのが悲劇的ではあるのだけど。

 降りているが、本質的には飛んでいる。そう解釈するべきだろう。この作品を見ると、つまり、「飛ぶ」というのはアクティブでありながら、彼岸であったり異界の世界に居るという状態なのだろうということがよく分かる。

 少年は座り、少女は飛ぶ。別に少女が飛ぶ必然はないが、男の子を飛ばそうとするとなにか馬力がいるように思う。少年の諦めの良さが気になったが、静けさすら漂う作風なので、このキャスティングとストーリィテリングは当然だったのだろう。

 

 非常に好ましい。落ちるからには飛ばなくてはならない。そんな気分に見事に応えてくれた作品。ただ、駆け足な展開のため心理の移ろいがわかりにくく、また後半提示される事実に対して、主人公の開始時点での心理状態の描写に重大な抜けがあるように思うのだけど、まとめが美しくて、気にならない。

 SFである。ある生態についての淡々とした記述と華やかな絵。人外の理解困難性を残しつつ、理解可能な要素をちりばめていく。商用ならば、きっと俯瞰的なカットや生育過程が楽しめるだろうが、そこはこういう場末の遊び。ダイジェストという趣きで、重要なところだけを美味しくいただけた。

 またしてもSFである。こういう企画では、似た傾向の作品が共感的に2つ3つ次々と並ぶ不思議がある。
 これをSFとよぶかどうかは疑問視できるだろうが、ストライクウィッチどころか核兵器級だったババアの萎える台詞と肢体と扇情的な衣装によって、不能と化したニートどもとその末、滅ぶ一個の国。おそらく見目麗しきロケットガールが乗ると目されていたはずなのだろうが・・・。いずれにせよ、自業自得感が漂う終末SFではないだろうか。

 うってかわって今度はファンタジー。課題に挙げた「空を舞う」ことを主題ではなく、あくまでも付属物とみなして独自の展開を見せている。ボリュームも申し分なく、まとまっている良品。
 ただ、劇中では魔法と科学技術との分け目を、主観による事物に対する制御可能性(再現可能性)の有無で切り分けしているが、すっかり流行の手法なので、そこからもう少し広がりがあればな。とは思った。そういうものを望む場ではないのはよく分かっているのだけど。

 その意気や良し! 文体にまず惚れる。
「いとちいさきかたまりが真冬の夜空に踊るように」と受け、「冷たく美しい幾何学模様のいくつかが手袋をつけていない彼のかさかさの手に触れ」と返す。
 天使の視覚と人間の視覚の違いを明らかにしながらも、あくまでもさらりと書き流す筆の走りにしびれ、後は怒濤のように天使の物語を読まされる。
 おそらく貧困にあえぎ、世間の冷たさにさらされているであろう母子に随所で雪のイメージに沿わせるのは、ある意味、常道とはいえ、この筆力で書かれるとぐうの音も出ず、ただ唸るばかり。

 二作とも落ちることと飛ぶことが同居しているのが興味深い。ストーリィ的なひねりもさることながら、課題の攻略を易々と行う鋭い着眼点がいい。

 読んだ頃ちょうど、意識をもったチキンが工場を支配して、世界征服を企むといったゆるめのライトノベルを読んでいたので大いにツボに入る。飛ぶことへの躊躇がないことと、鳥ではなく鳥の一部が話すことにマジックリアリティを感じる。

 飛翔するまでの段取りを描くサイボーグ自殺者の物語。顛末はスルーされているが、結果は残る。サイボーグ化を自殺するための材料として扱ったのは初めて見た。

 飛ぶことが異界への呼び水なら、その主体はすでに異界の存在かその境界存在である。劇中の少女も理解可能な段取りでもって、理解困難な主観を持ち、それゆえ我々をぞっとさせる。

 つまり、某クボツカ氏はこういうことがあって、飛び降りたんですね。分かります。
 ひたすらノリも展開もキャラも軽く、その意味で作品そのものがふわふわしているのがおもしろい。

 優秀賞とするのか最後の最後まで悩んだ作品。「空を舞う」ことについて、きちんと必然性をもたせていることが評価の理由。
 萌えっこな娘が出てくる前段階の戦いにもっと多くを割き、そこに夫婦喧嘩の見苦しさと醜さがあったら(美容室で整えた髪が縮れるぐらいではすまない人間力が問われるような類の)、確実に賞に据えていたんではないかと思ったり。

 これでファ文だから、という理由で評価したら面白いだろうかとか。
 まあ、そんな煽り気質はないところが、自分でも残念ですが。
 なんということもなく、ショートショート。うん、ベッタベタだ。むしろ、ベッタベタだからこそ出る味ですよね。高い技能で盛られたさっぱり料理で、ぺろりといける。そんな味わい。

 会話の妙がある。駄弁りとはムダだからこそ意味を持つのです。飛ぶことへの思索と、アホなまとめ。好きです、こういうの。

 「飛ぶ」ことが課題だからこそ、飛べないことからすべてが始まる。なにより、主人公がみじんも過去に執着していないところがまさしく飛んでいる感じでとてもいい。

 実にマンガマンガしていて、楽しい。混沌としてきたところです「助っ人」を呼び、するりと落とし込む。これが文字ならしらけただろうけど、そういうわずらわしさを感じさせないマンガであることがミソ。

 
 優秀賞作。
 ちょうど今、XBOX360で「ミラーズエッジ」をやっているから。
 というわけではなく、飛ぶことと地面にいることの両方への意味がきちんと問われて回答されていることが最大の評価点。
 飛んで降りるためには地面が必要であり、地上(=我々の根ざす場所(そこでは色々ある)から、飛ぶための関係論が描かれており、ひたすら秀逸。
 また導き手と主人公の関係は見ていて清々しく、飛ぶ(=自らを自在とする)主体である導き手に、くすぶる主人公が惹かれて、自らも飛ぶ主体となっていく過程が心地よい。
 そして、導き手が自らの人生の転換期(=一つの終わり/始まり)である節目に放つ台詞がガンッと読者を殴りつけてくる。
 そして、最後には主人公自らの転換期も、訪れる。その構造的美しさにただ脱帽。

 飛翔と降臨の関係に着目した物語・・・なのか?
 先輩と後輩のかけあいは楽しく、くだらなく実によろしい。
 劇中にあるとおり、飛ぶというのは無限の行為なのだとしたら、つまり、そうさ。おれも飛んでみせるぜ、飛び続けてやるぜ!
 とポジティブに宣言して、まとめてみたところで、講評もおしまい。

 
 たくさんの応募に感謝します。ありがとうございました。