月姫について。

  • ことのあらまし
  1. ネットに潜む闇より「月姫なる作品を用いて物語りたまへ」という天啓を受ける。
  2. これによりて、我は今より羅漢に逢うては羅漢を殺し、修羅に逢うては修羅を殺す文章を書くのである。
  • 感想

 というのは、嘘です。一ヶ月ぐらいかかってようやくクリアしたので、感想を書くことに。

 基本的にはこの作品もエヴァの延長線にある作品ですね。ていうか、90年代の文学作品の延長線というか。
 90年代文学というのは、要するに人物のプロファイリングの時代です。
人間を精神医学の観点から解析し、その要素をより強調し、キャラクタとして類型化する。
ポストモダンとか構造主義とかあーいう類に影響を受けている路線です。庵野秀明はいつぞやのインタビューでそのことに言及してましたけど。
 特にエヴァの方向性とよく似ているのは、まずTYPE-MOONがこれまでの文学作品を取り込んで(特に顕著なのは、夢枕獏京極夏彦永野護といったカルト的人気を持つ者達の要素)、その最大公約数にしたてあげて、さらに90年代文学で流行った新しい学問(キリスト教の最新学問や精神医学)を持ち込んだ点にあるでしょう。キリスト教に関しては、月姫の場合、関係ないですが。
 ただ、アニメと小説の媒体の違いなのか知りませんけど、エヴァンゲリオンが結局のところ、旧来のマッチョイズム、男の世界を書いていたのに対して、月姫は世界観が非常に女性的です。
 これは多分、アニメーションを前提にした場合、殴ったり蹴ったり殺したりするのが、結局、社会にあってつまるところ、男社会によって為されるものでなければならなかった(ゼーレや碇ゲンドウなどの社会の上層を占めるのが、子宮回帰を目指す男どもであり、またこれはアニメーションの現場における製作者達もまた男であることから)のに対して、月姫は小説という非常に閉塞した媒体が織り成す「すでに子宮に戻った世界」であるからでしょう。
 月姫のストーリィはすべて女性によって展開されます。主人公は確かに男ですが、彼は単に事態に巻き込まれただけの、それこそ「切り札」にしかすぎないのです。これは敵にも当てはまることで、劇中の敵もまた「札」といえます。全ては女性のたなごころ。プレイヤーは女性なのです。だから、最強はアルクェイドという女性だし、事態の多くを語るのもシエルという女性だし、事態の黒幕は妹と使用人たちでした。
 プレイヤーに踊らされる男ども。すでに子宮に戻った状態ではそうならざるをえません。エヴァンゲリオンの次の世代という作品の例でしょう。


 僕がこのゲームの評価しているのは、このゲームがエロゲーであることを強烈に逆手にとっている点です。エロゲーは女性がいなければ成立せず、女性がいる理由は男性の単なる性的願望の成就のためにすぎません。
 つまり、多くのゲームは「女性はあくまで囚われの姫君である」という構図を変えていません。つまり、女性はいつまでも男によって隷属しているちゅー価値観。
 それをひっくり返しているのが、この作品の特におもしろい点だったと思います。