ふと、気付いた。社会と哲学とSFとミステリは似ている。だから、オトナは頑張ってこれらを読み解こうとするのだ。


 ハイペリオンシリーズを眺めながら、自分のSF経験値の低さに嘆いたことがあります。わかんねーよ、どういう意味だよ。量子リープってなんだよ。後のy2k000である。


 虚無への供物を眺めながら、自分のミステリ経験値のあまりの低さに腰を抜かしたことがあります。わかんねーよ、「大鴉」ってなに? 「アクロイド殺し」ってなに? 後のy2k000である。


 ジャック・デリタの「触覚 ジャン=リュック・ナンシーに触れる」を読んで、自分の哲学経験値の低さに嘆いています。わかんねーよ。体験がわたしを訪れた。ってどういう意味だよ? 行間を読むのか? 何を読めば分かるんだ? 分かんねー、マジ分かんねー。今のy2k000である。


 中韓に関する右翼左翼の双方の主張が飛び交う議論の場で、なにがウソでなにが本当か分からなくなることが多々あります。ソース出せ、といって、出てきたそのソースは真実、信用していいものなのか。また、識者と呼ばれる方々の言葉を本当に信じていいのか。よく分からなくなるときがあります。今のy2k000である。


 これらに共通するのは、その間テクスト性だと思う。半ばジャーゴン然とした言葉の群れは、「分かるやつは分かるんだよ」というスタイルを貫いており、そうでなくてはメディアの発展は望めないからだけど、ついていこう(続いていこう、じゃなくて単に後を追いたいだけって意味で)と望むひとたちは大変だろうなー、と。めんどくせーよ、マジで。それもおもしろいけどさ。
 

 というわけで、ぼくは世のあらゆる事象で、とりたて人生設計に組み込むべき優先順位が低いものをすべて「物語」として、楽しむ方針をとっています。おもしれーよ、哲学。SFもミステリも、外交問題イデオロギーの対立、漫画だってライトノベルだって、全部笑える。笑っておくのがベター。
 あー、仕事ダリー……。