今週のネウロがあまりにもヤバすぎる件について。

 
 ある男と男とが酒など飲みながら語るのである。
「今週のジャンプを読みましたか?」
「ああ、読んだよ」
「『魔人探偵脳噛ネウロ』は?」
「読んだとも。今週からロリっ子が出てきたね。正直、ミニチュア版弥子だと思うのだけど」
「読んだなら聞いて欲しいのですけど、僕、どうしてかは分からないんですけど、今週のネウロを読んでいると脳の後ろ辺りが重くなってチリチリするんですよ。これは「危機が目の前に現れたときに生じるあの感覚」としか言いようがないのですけど、焦燥とか不安とか恐怖とか、そんなのがごちゃまぜになった、とにかくイヤな感覚なんです。でも、フィクションを読んでいてこんな経験を味わうなんて初めてなんです。
 しかも、それが何に起因するのかが分からないんです。なにかが自明的にアブナイのに、それについて無意識的に避けて振舞ってしまうというか。PTSDにおける特定の事物に対する回避傾向のような、そんな感じなんです」
「ふむ。だったら、ホームズの推理過程に習って、少しずつ解きほぐしていこうじゃないか」
「結論ありきで推論を埋めていくアレですか?」
「そうだとも」
「つまり、あなたは答えを知っているのですね?」
「恐らくこれだ、という解答は持っているつもりだよ」
「なら、それを教えてください」
「ならば、もう一度、今週のジャンプを精読してみたまえ。何も想像せず、変容させず、ただ観察しなさい」
「はい……」
 ページをめくる音が奇妙に大きく響くこと、数十秒。
「あ」
「その顔は理解した顔だね。納得した顔だね」
「ああああっっ!? ロ、ロリコンで白ヒゲで丸い顔のお爺さんって、まままままさか、ううひゃひゃひゃひゃ」
「落ち着きたまえ」
「だ、だって、これはいくらなんでもヤバイでしょ。名誉毀損モノですよっっ!? これまでのボーダーラインのパロディとは確実に質の違うヤバさですよ」
「落ち着きたまえ。仮に、これが私や君の推測する人物をモデルにしたキャラクターだとしてだ。何の問題があるだろう?」
「はあ……?」
「大多数の一般市民は、『彼』がロリコンであるかどうかを知らないのだよ。
 一般的な理解における『彼』は夢と希望を与えてくれる稀有のファンタジスタであって、昔、『彼』をモチーフにしたペドフィリアが登場する同人誌が作られたことがあったけど、実のところ、『彼』がロリコンであることを知る人間はごく少ないのだ。それは周知の事実ではないのだよ。だから、心配しなくていい。今回もまた松本先生の綱渡りサーカスプレイに胸をときめかせていれば、それでいいのだ」
「なるほど」
 そうして、男と男とは再び杯を交わすのだった。

 「機動戦士ガンダム第08MS小隊」を再見す。


 初めてみたときは軍務をこなしていく過程が秀逸な一巻二巻に心を奪われたのだけど、今見ると3,4巻の個人間の心理的ギャップを埋めていく話に感動する。
 ちょっと以前から自分のアニメに求める性質が変わってきてるとは自覚してた*1んだけど、それが決定的になった。涙腺が緩んで困る。
 七話のアイナ・サハリンが錯乱したシロー・アマダに投げ飛ばされて、なお気遣う言葉を放つところとか、「なるほど。これが今流行の母萌えかっ!?」となぜかシャア台詞で膝を打ちました。可愛いですよね。アイナ。
 昔は、彼女の甘ちゃんオブ甘ちゃんな挙動には「何だこいつ」と思ったのだけど、「そういうのはどうぞ修道院でやってくれ」と考えていたのだけど、一貫している青臭い態度と行動はよかった。にじみでる聖母の発露とあわせて、非常に美しい抽象化。
 逆に今度は、昔はそれほど違和感を覚えなかったシローの「オレは何のために戦っているのだ?」という疑問への試行錯誤がダメになっていた。
 「ジオン憎いため→軍務のため→理想のため→仲間のため→惚れた女のため*2」の流れはいいんだけど、一つの連続した劇としては詰め込みすぎかなーと思った。
 劇中のタイムスケールが分かりにくいことと、心理が移ろっていった過程に持ち込まれる出来事が象徴的すぎて、優柔不断な性格だけが際立ってしまったように見える。この辺り、いかにも一昔前の「懊悩する主人公」像なので、ちょっと合わなくなってきてるのかもしれない、と思った。
 かといって、あんまりハードな性格になってしまってもつまらなかっただろうし、うーん、難しい。

*1:この間、ラピュタを見ていて、出てくるロボットのあらゆる動作が泣けてくると気付いた。生き残ってしまった滅びの美学というか

*2:あ、自分のためがその前にあるか