戦国BASARAをまだプレイしているんですが。

 正直、もう飽きた。
 プレイ時間10時間持たなかった。
 なんていうんだろうか、こういうゲームは最初のインパクトが全てで、後は製作者が「はい、ここ、笑いどころですよー」と設置したラインに沿って楽しむだけになってしまうんだよね。
 つまり、数キャラ攻略して、「笑いどころ」の方向性が見えちゃったら、もうダメになってしまう。そういう意味で、ドラッグオンドラグーン1とか剣豪とか侍道は果てしなく強いなぁと思った。それはなぜかというと、歪んだコモンセンス、すなわちワイアルド団長言うところの「エンジョイ&エキサイティング」を持つ人間にとって、最大のキーワードになるのは「斜め上」だから。
 ドラッグオンドラグーンは製作者が狙ってやったのか天然なのか未だに判断に悩むところだけど、極一部の絶賛と大多数の大顰蹙をかった伝説の最終章というビッグ・サプライズを用意し、さらに豪華声優をわざわざ用意して、とち狂った世界観を構築するという荒業をやってのけた。プレイヤーは製作者の斜め上に身悶えた。
 剣豪や侍道は明らかに製作者の意図しない遊び方をプレイヤーが選択できるという意味において素晴らしい。一体、誰が武士の世界にあって銃のみで戦闘を行なうという明らかに作品そのもののコンセプトを最大級にシカトするという荒業を想像したであろうか。製作者はプレイヤーの斜め上に身悶えた。
 つまり、戦国BASARAにはそうした奥行きがないのだ。一通り「バカだよなあ」「開き直りすぎ!」「何このアホども」などと笑えば、それで終了する。もはや予定調和になってしまうのだ。バサラと銘打ちながら、その体たらく。「確かに、歌舞いてるけど、その程度かよ! 俺は喰い足らねェんだよ!」という状態になるのだ。
 ざっと妄想しただけでも、「うっかりザビー、周囲全てを巻き込む自爆の巻」「パーフェクト本多忠勝、足なんて飾りですよとはもう言わせない!」「濃姫がロケットランチャーを構えて、美濃城爆破! 兄殺し成功」「猿飛佐助の忍者合戦! 軒猿伊賀甲賀風魔の血みどろ地獄忍道」「伊達政宗、南蛮渡来の機械車で天下横断! 伝説を作るぜ!」など。



 、ああ。我ながら、節操のないエピソード群ですが、要するに本編は遊びの幅が狭いんですよね。やってることが皆、おんなじ。切って殺して攻めて、ボスを倒す。ある種のルーチンになる。だから、すぐに飽きてしまう。
 次回作は、そのへんをもっと工夫してもらいたいなぁと思い候也。