交響詩篇エウレカセブン

 エウレカセブンについては、そのうちまとまった文章を書こうと思ってたんですが、もういい加減、ストーリーが進まなさすぎて、推測でもいいやということで、書いてしまうことにする。


※以下の文章はネタバレと考察とヨタ推測が大量に含まれます。



その一「エウレカセブンにおける謎の存在、コーラリアンの正体って何なのさ」


 初っ端から推測になるのだが、コーラリアンは星そのものであると思われる。理由としては、トラパーの流出量がコーラリアン付近では尋常ならざるということと、トラパーが星から生じることの相関関係から考慮してのことである。
 また、コーラリアンが人間に敵対行動をとっている点と、ボダラクによるところのトラパーを失くしてしまうパイルバンカーによる人類の愚行とに共通点が見出せることである。
 また、エウレカ世界において、人類は移星人であり、コーラリアンとの対立は原生民との対立であると推測される。(この点は「コーラリアン(珊瑚人)」と現象を擬人化している点から見ても明らかであろう)


そのニ「レントンの父と姉」


 レントンの父、アドロック・サーストンの元ネタは「ガイア理論」で名の知られたジェームズ・ラブロックであると思われる。ラブロックの提唱した「ガイア理論」を端的に、それも人間に主眼を置いて星との在り方のみを表現すれば、人類が星と穏やかに共存する理想郷を生み出すか、人間を消し去って、星のみがホメオスタスを再度獲得するか、という二極化された状態になる。
 この状態がコーラリアンと人間との対立そのものに対応する形になっていることは一目瞭然である。ガイア理論はしばしば人間と星の関係を説き、スピリチュアリティ霊性)を描いた物語との親和性が強い。例えば、スプリガンやARMSを初め、坂口博信が手がけたFF7、映画版ファイナルファンタジーなどがその例となる。
 霊魂的な話はすなわちそのまま死生観につながり、自己のより高き領域への関心へと帰属する。これは、トラパーの元ネタと思われるトランスパーソナル心理学の考えにも似てくる。
 トランスパーソナル心理学は、死後の世界の成長と生まれ変わりを説いている学問である(らしい)。この辺りに、すでに他界した(とされている)父と姉との邂逅を後の展開の中に求めることができそうである。また、巨大な雲塊であるコーラリアン内部でレントンが発見した姉についてだが、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」の中で精神のみになった人間のことを「オーバーマインド」と呼んでいたことがモデルになっていると思われる。



その三「アゲハ構想ってなんだろう?」


 上記した二点から考慮するに、アゲハ構想なるものは、星であるコーラリアンとの共存を果たすためのものであったのではないだろうか。劇中において、蝶々は「招くもの」としてのメタファを背負っているらしく、夢の世界を放浪するレントンを奇怪な心象世界へと誘っていた。つまり、それは精神の放浪、あるいは探求と見られ、これはスピリチュアリティ(並び、その霊性を意識するほぼ全てのオカルト)における重要な概念であり、これはまたトランスパーソナルにおける重要なキーワードになっている模様である。つまり、アゲハ構想は人間という個人を巨大な記憶集積庫である星に結びつかせるものである。その実質的過程はまだ描かれていないので、なんとも表現できないが、我々の生きる世界各地でみられる「生贄」に近いものではないかと思われる。つまり、ある個人が星と結びついてしまうのである。
 それが、レントンの父であるか、姉であるかどうかは不明であるが、おそらく父はニルバーシュに宿り、遅れて姉はコーラリアンに宿っているのではないかと考えている。
 ニルバーシュは「少年少女を保護するもの」であり同時に「血を流す暴力」である、これは父性を示すもの。対して、トラパーという世界に遍く存在は、ユングのグレート・マザーを思わせて、強い母性を思わせるからである(またガイア理論におけるガイアとはギリシャ神話における大地の女神である)。
 また、ユングに関しては、集合的無意識を初め、太母、賢者などの「元型」、リビドーなど相当の部分をサンプリングしている模様である。集合無意識とは人類に普遍的潜在的に存在する「形象(イメージ)」である。また形象は象徴(シンボル)であり、象徴は隠喩(メタファ)として用いられ、隠喩の集合は寓意(アレゴリィ)と呼ばれる。寓意はいわばテーマとも置き換えることができるが、この物語の寓意に関しては、まだ全ての隠喩が揃っていないということもあって、表現は避けることにする。
 ただし、ユングが着目した二人の学者、フロイトエディプス・コンプレックスから為る近親相姦(これに関しては以前ここで書いた)とアードラの権力からの自由を基幹とした外的な人間関係論なども組み込まれていることは興味深い。




                     つづく(気が向いたら)