交響詩篇エウレカセブン 第16話を見る。

 ほんとは毎週、感想とかアップするのはめんどいし、色々考えたいのでやりたくないんですが、今回の脚本が小中千昭だとEDで知り、摩訶不思議な精神世界描写の数々に対して、壮絶に納得したので、書くことに。

小中千昭といえば、アニメ版ヘルシングの半端ではない叩かれっぷりで一世を風靡した脚本家ですけど、あれはもう、脚本家を叩くんじゃなくて、小中千昭を起用したプロデューサーなり監督なりを叩くべきだと思った。


ラブクラフト好きで、超自然にやたらと理屈を持ち込みたがる人を分かりやすい痛快ハッタリ漫画のアニメ化に登用した時点で各々のあまりにかけ離れた要素の不合致を起こして、破綻することは目に見えてたわけで、原作ファンはハナっから覚悟して然るべきだったように思う。いや、まあ、ヘルシングのアニメそのものは一話目から全然まったくおもしろくなかったんで、この程度でしかフォローしようがないんですが。


 さて、今回のエウレカセブンは単体としては比較的分かりやすい作劇で、やっぱりキーワードになっているのが蝶々だったので、先週軽く書いた話の中で触れた蝶=「招くもの」のメタファがだいたい間違いではないんだなと思い、なんとなく満足する。


 要するに「胡蝶」なんだよなあ。胡蝶ってのは元々は中国における蝶の呼び名のことで、和歌なんかでも「胡蝶夢」として昔っから詠まれていて
「知らず周の夢に胡蝶と為れるか、
 胡蝶の夢に周と為れるか。
 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん」という説話がある。
 これすなわち、周って人が夢の中で胡蝶=別人になってしまうという話であり、夢と現実との垣根がひどく曖昧である。
 というもの。


 これが今回ではスカイフィッシュ(まー、スカイフィッシュについては胡蝶=周の関連から別に書きたいことがあるんですが、それはまた後日にでも)に掛かっていて、さらに言えば、あてどなく歩いていて発見した建物の中で食い物漁って食べて、ぐっすりと眠って目を覚ませば、実はそこには建物がなかった。
 なんてのは狐狸に化かされる昔話そのまんま。


 いやー、これだけきちんと分かりやすいホラー話は久しぶりに見たなあ。精神世界を書かせたらやっぱり一級品だと感じる。
 ちなみに、小中千昭の公式HPによると、1クールに一回は登用されるそうなんで、また独特の精神世界を描いて欲しいもんだと思った。

  • 後、レントンエウレカの仲直りっつーか、歩み寄りについては、まあ、どのみち遅くても向こうニ、三話中に成立するだろうと予想していたので、予想よりちょっと早いことに驚いたし、それぞれの心情の変化は前回から引き継いで、レントン=ニルバーシュ=守るモノっていう構図を展開させて、上手いこと締めたなあと思いました。