笑えない すごい ツンデレ

 以前、ツンデレ=イマドキのオタクにおける自己愛という話をしましたが、それからぼんやりとネットを駆け巡りながら思ったことがあるので、ツラツラとまたも書きなぐる。


そもツンデレというものは、「表向きはツンツン、しかしてその正体はデレデレ」というものでありました。


 これを以前、私は「ツンデレってほどほどにリアルでもしかしたらオタクの理想郷ではなかんべ?」と申し上げたのですが、すまん、ありゃウソだ。
 よくよく考えてみると、まあ、ツンデレであろーが、妹キャラだろーが、姉キャラだろーが、ロリキャラだろーが、二次元美少女という名の奇形児たち(いわば、ピノコ的盲愛者とでも言おうか)はその命題において、「彼女らの見せる惚れた張ったは所詮、オタクではない物語の主人公との関係にすぎない」のである。それはすなわち「決してプレイヤー=オタクには恋をしてくれない」ということに他ならないわけで、あいかわらずオタクと美少女の間には人気声優とそのファン、あるいは人気アイドルとそのファンぐらいに隔絶した、それこそ海よりも深く、山よりも高い障壁が存在しとるわけです。


 もちろん、ツンデレをストーリィないしキャラ属性として楽しむ分にはその精神衛生上、大変よろしいわけで、キャラ萌えに付随する幾許かの肉体的快楽を催す行為なんぞはむしろ、その消費行為は手段と目的が合致していて個人的には真っ当な娯楽だと思うのですが、世の中、まあ、そうはトンヤがおろさんわけでして、「ある程度、認知された概念は往々にして過度に一般化され、大衆に消費しつくされる」というマイナー志向かつ、極閉鎖系(自己)でしこしことこっそり非生産活動をやっとる人間からすれば、噴飯モノの虐殺行為が始まります。


 まー、要するに何が言いたいかっつーと、当初、予測されていた「ツンデレ」というものは、明らかにその様相を異なるものとしつつあるのではないか? ということです。
 別に他人の言うとること、やっとること、またその趣味嗜好にいちゃもんつけるつもりもないのですが、本質的に「あるキャラクタのカテゴリ」にすぎないツンデレを現実に当てはめるといった行為は、「ゴスロリ」かぶっとる本性は狸か狐か、はたまた野良猫かの女性を「女神だよね」などと偏愛したり、「お帰りなさいませ、ご主人様」などと世の中ナメくさったとしか言いようが無いフェチズム(無論、他者に理解、共感できないからこそのフェチではあると分かっておりますが)にうつつをぬかしたりするに似た愚行!


 ましてや、ツンデレなるものは、その本質において劇場型、つまり、そのキャラクタ造けいにおいて、すでに新たに付与されがたき「物語性」を有しているがゆえに現実との親和性を説きやすく、その点につき、他のいわゆる「記号キャラ萌え」とは異次元の厄介さがあり、しばしば現実の恋愛論と絡めて語られたりするわけであるが、んなわきゃない。何度も繰り返して言うが、ツンデレは現実に存在しえないのである。当たり前のことだが、存在するとしたら、それはゴスロリ娘やメイドコスプレ喫茶並みに「イタイ」といわざるをえない。



 なお、この話における日記記述者のゴスロリメイドカフェ等に対する発言は、それを嗜むものたちに格段思うところあってのものではない。
 これは単純に、先日、某週刊誌の「負け犬女のツンデレ指南〓オタクをひっかける方法〓」なる記事を目にして、かようのごとき感情をむき出しにした発言を吐かざるを得なくなっただけことであり、近年、比較的よく目にするマスコミの安易かつ蔑視的なオタク論への反駁、いわば第四の権力に対するカウンターカルチャーとしてのちっぽけなオタクの慟哭にすぎないことを最後に付記させていただくことで、話を終えたい。




    • ……つーか、負け犬女がツンデレになったら、単にプライドばっかり高い、ややこしい女になるんじゃねーの? という感想を抱いたら、もうすでに先方の術中にはまってるのかもしれんナァ……などと、などと。


 


      • 壮絶なほど話が脱線してしまっているのは、気にしないでください。書いている途中で自分でも「あれ? オレ、何書いてたんだっけ?」と首を傾げたぐらいですから。