暁星記1〓5巻(著:菅原雅雪)を読む。

 最近、悔やむことばかりです。自分のアンテナの低さとかに。……こんなおもしろい作品をどうしてこれまで知らなかったのだろう……
 こういう作品を読むと、「この世にオレの知らない面白い本なんてあっていいのだろうか!? いや、ない!」と天を仰ぎたくなったりします。
 とりあえず古本屋で二巻の始めまで読んでいたのですが、『女の本能から〓』という単語を目にした次の瞬間、即座に店を出て、駅近の市内随一の漫画の品揃えを誇る本屋に出向き、既刊全てを鷲掴みにしてレジに持っていきました。(どうしてその言葉で動いたかというと、それはまた後ほど)
 こんなことをしたのは、偶然本屋で見かけたシグルイの既刊(当時は二巻まで)全てを猫科動物が爪を立てるが如き異様な掴みで手に取った時以来です。

  • あらすじ

 かつて金星と呼ばれた星を人類は自らの生存適合可能世界へと変えた。
 しかし、そうして生まれ変わった星の厳しい自然条件はそこに住まう人々から科学技術という名の知恵のほとんどを奪い去り、人間は最低限の社会性を保った原始的な生活を余儀なくされていた……

  • 感想

 作中に出てくることごとくに恐ろしいほどの「立体感」、つまり手触りがあります。「この道具はこう使える!(単に使うではなくて、確実に目的と手段が合致しているという意味で)」といわんばかりの存在感があるというか。
 分厚い絵の質感がそれを可能にしているのですが、徹底的に、もう、しつこいぐらいに描き込まれた木の線がコマの隅々にまで浸透していて、そこから「圧倒的な自然」が感じ取れます。
 ストーリィは要するに原作版ナウシカ(あるいはもののけ姫)です。これらは間違いなくイメージソースの一つであり、諸星大二郎作品なんかもその一つでしょう。*1
 こうした作品にはつき物の不気味でやたらでっかい昆虫やら爬虫類というガジェットももちろんあります。後、でかい鳥とか。
 とにかく読んでる人間に対して、強烈にイマジネーションを掻き立ててくれる作品すぎて、困ります。
 次はどんなものが飛び出してくるのかワクワクします。

 それから出てくるキャラクタにも厚みがあるのが、大変好みです。
 先述したシグルイにおける登場人物のエキセントリックなEDO・THE・DENKIメンタリティのように、「キャラクタの行動理念が世界設定を規定する(=シグルイで言えば、全体は徳川忠長あたりが、メイン舞台はタイガーアイ先生がその役目を担っています)」、あるキャラクタの行動原理が漏れなくその作中における世界観を明白にしている作品は経験上、当たりが非常に多いです(それがインプレッションで書いた『女の本能』)。
 これは例えば、ジョジョでいえば、第一部のディオ、第二部のワムゥ。第三部のポルナレフ。第四部の広瀬康一。第五部のブチャラティ。第六部の神父。スティールボールランのスティール氏や大統領、といった具合に。
 バキ?
 バキなら決まってますよ。あの人しかいないじゃないですか! 
 マスター・ITAGAKI当人です。(餓狼伝だと松尾象山ですかね)


 まぁ、とにかくこの作品を読みながら、「彼の偉大なるゴキブリはいつになったら現れるのだろう?」とか「でかい魚でてこねーかなー」とか「巨人でてきて、主人公がワンダの巨像よろしくたたかわねーかなー」とかそんなことを妄想してたりします。
 

*1:これらに共通するアニミズム的な背景はhttp://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku.htmlを参照してください