天国の門(著:秋月達郎)

  • あらすじ

 第一次世界大戦末期、フランスはマルセイユで帝国軍人、日置鞘N三郎は一人の男と出会う。
 松方幸次郎。昭和の造船王と呼ばれた彼は、国立西洋美術館のうち、松方コレクションと呼ばれる美術蒐集を為した人物である。海軍所属で優秀なパイロットである日置は松方とともに文字通り、飛行機でフランス中を飛び回っていたが、ある時、一人の漢と遭遇する。
 ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング。後のナチスが国家元帥にして狂気の美術蒐集家。
そうした者達との遭遇を経て、時代は第二次世界大戦へと流れ、パリにて松方コレクションの管理を任されることとなった日置と、ナチスのナンバー2となり比類なき地位へと至ったゲーリングとは、それぞれが怪物アドルフ・ヒトラーの秘密に迫っていくこととなる。
 やがて、頽廃芸術と差別されたウィーン分離派の芸術家達とヒトラーとの驚くべき関係が明らかになっていく……

  • 感想

 一年ぐらいほうりっぱなしにしていたこの作品。ようやく読み終わりました。
 どうしてほうりっぱなしにしていたかというと、長いんです。これ。
 原稿用紙3000枚相当。ハードカバーの二段組で上下巻。京極道も目じゃありません。
 でも、おもしろかったです。なんだか久しぶりに真っ当かつ圧倒的な作品を読んだ気がしました。




(以下はネタバレを多大に含みます)



 
 とりあえず日置の顛末を考えていくと、非常にユダヤ的だなと思いました。放浪に次ぐ放浪。あの当時、ナチラヒに迫害され続けた人種に、日本人である彼が境遇として似るのはある種の諧謔めいていておもしろかったなあ。で、彼自身は「フランスにおいてオレは異邦人(エトランゼ)だけど、でも、今更、日本に戻るのも無理。ぶっちゃけオレって何人よ?」と思っているフシがあって、じゃあ、日置にとってのエルサレムってのはどこなんだよ? と考えるとそれは故郷である日本でも長年住み着いて愛するものさえいるフランスでもなくて、結局は「松方コレクションがある場所」に他ならず、そう考えるとやっぱり彼は芸術における殉教者だったんだなあ、と思ったり。
 歴史に名を残す天才達の作品を見るとき、我々凡人が「彼らの国」に直面して、「ああ、オレはここの世界の人間にはなれねえな」と彼らが感覚的に理解できるであろう細かな筆致にすら異邦人としてロジカルな学習が求められるのに対して、日置もまた数多の天才達と同じく感覚的に「自らの使命=芸術に殉ずる覚悟」を了解していて、その対比は、自らの執念によって偉大な先人の完璧な模倣者となった佐々木(=ヒトラー)や、美術への造詣が豊かだけど、多分は創造という点において天才ではなかったであろう間久部(=ゲーリング)という構図を考えてみると、これもまた興味深い。エゴン・シーレの位置に立っていたんだろうな。多分。
 そう見てみると、この作品はクリムトだとかシーレなんかの極端な個人主義(この系譜は後のシュルレアリズムにも引き継がれますが)がバックボーンにあることも分かってくる。ゲーリングと日置は神を求めておらず、彼らにおいては「芸術=神」であって、国家だとか宗教だとかそういうものを全く欲していなかった。神は高次元の存在ならば、二次元ないし三次元の像として人が自身の内面を投射したものを崇める彼らは、紛れもなく「神なんていらねえ。オレという世界はオレを中心に回ってるんだよ」という個人主義者であり、物理的精神的な長い放浪を経て、自らの約束の地(シオン)=国立西洋美術館にたどり着いた日置と、約束の地=妻の愛、コレクションの蒐集、ヒトラーの真実、ドイツ総統の地位、へとたどり着けなかったゲーリングの差は、多くを求めたか、求めなかったのかの違いであり、これは解釈の違いでもあるのだろうけども、やっぱり、即物的な執着を善しとしなかったということで、日本人が書いた日本人向けの素晴らしい作品と言うに値する終わり方だったんじゃないかなあ……などと