交響詩篇エウレカセブン(35話まで)
こっちはローゼンとはうってかわって、最初の期待を大きく裏切られている状態。
つまり、ガタガタです。もはやどうやっても駄作にしかならないであろうことしか想像できないというか。
や、絵は相変わらずすごくおもしろいんですよ。気持ちよく動き回るし。構図も時折はっとさせられたりする(今週のスターウォーズ的な空中戦とかみたいに)。演出も音楽に関しては光る部分があった。ただ、その演出が雑になると途端にダメダメになっていきます。
エウレカセブンの「オリジナル」部分がここまでイケてなかったなんて……正直、驚愕です。
この作品はこれまで先人の培ってきたモノを確信犯的に下地にすることで物語を綴ってきたわけなんですけども、そろそろ終わりに差し掛かってきて、目的が明確になって事態が動き出したわけなんですが、これがちっともおもしろくない。
どうしてだろうか? と考えました。
僕は「ああ、ここまで延々と先史におけるパラフレーズでやってきたんだ。だったら、オリジナルパートはさぞやひねってくるんだろうな」って期待していたんです。
フレイザーのひねくれた解釈から展開させて、名家の兄と弟における実利的な金枝の奪い合いと少年の理念という金枝を掲げて王=父を殺すという対比でもいいし、突如としてレントンが記憶を失って、記憶を取り戻したとき、全てが失われていたっていうエンドでもいい。いやいや、もっとスゴイのを持ち込んでくれるだろう。とか期待してた。
ところが、よく分からないうちにゲッコーステートは一致団結しとるわ(キャラの掘り下げなんてまるっきり放棄してる。相変わらずいるだけ)。いまさらエウレカは何もしたくないなんて言うわ(こんなん序盤か変身した最初あたりで終わらせるべき話だろ……今更やられても萎える)。
で、挙句の果てに、ボスキャラは「わーい、ボクちん星を滅ぼしちゃうよー」って、何そのベタさ加減。さすがにこのデューイの目的にはあきれて笑ってしまいました。
多分、製作者としては、
レントンとエウレカが自分達の望む世界を作る少年少女=「君と僕」のセカイ系の他ならぬ体現者
と、
人類とか世界とか星とかを背負って戦っているデューイやホランド=古典的な漫画アニメ文法
とを戦わせたいんでしょうけども、いかんせん、観念の戦いを描くにも、相変わらず設定は不透明だわ、出てくるキャラはことごとく掘り下げられてないわ(レントンとエウレカはともかくホランドとデューイは「子供から観た大人」という立ち位置だからなのか、それとも単に製作者側でもキャラを今ひとつ掴めてないのか。ホランドのキャラの立ってなさを考えると後者の可能性が……)、観念以前というか足元がお留守すぎます。
要するに視聴者が頼るべき支柱がなくて、別の意味でハラハラさせられるわけです。「いつ展開が破綻してもおかしくない」「キャラがワケの分からん支離滅裂な言動を始めてもおかしくない」ぐちゃぐちゃな状態なのが今のエウレカセブンであり、過度のオマージュやパクリの弊害ここに極まりという感じです。
オマージュやパクリは所詮、刹那的な快楽だと思うので、エヴァンゲリオンがそのへんを上手くクリアできていたのは、あの作品は実際のところ多種多様な使徒との戦いという短編連作であったからで、この作品のように長期的なスパンで物語の構造を作ってる場合、結果として全体を貫くカラーがなくて、てめーでてめーの首を絞めてしまっていますね。
もっとも、そんな中で唯一の救いなのが、ドミニクとアネモネの間柄で、この二人は出番がほとんどないのにも関わらず、すごくしっかりとしたキャラ立てがされていて、二人のトリックスターとしての役割次第ではまだ化ける余地は残っていると思いたいんですが、多分、ムリ……だろう……ナア……