というほどでもなくFate/hollow ataraxiaに関する所感。


 この作品に関しては感想を書こう書こうと思ってたんですが、ようやく書く暇が出来たのでつらつらと書いてみます。さすがに一ヶ月ぐらい経つので内容がうろ覚え気味なのはご愛嬌。

  • 全体について

 演出が絶品。これはほんとに素晴らしい。正直言って、フェイト一作目は「演出が荒いなあ。多分、アニメ的な文法をやりたいんだろうけど、それだったらもうちょっと絵が必要だろ。いくらなんでもバンク多すぎ。後、文字に頼りすぎ」と思ってたんですが、今回は文字と絵の融和が素晴らしい。まさか文字そのものをいじってくるとは、絵という観点から離れて文字媒体を使ってくる技法はちょっと考え付きませんでした。
 一方、音楽が若干弱いところもあったんですが(これはでも、映像作品にように製作サイドがカチッと進行速度の枠にはめることができないビジュアルノベルというジャンルの限界があるから仕方ないんですが)、そこをどう改善するかが今後の課題になるぐらいでしょうか。
 でも、この演出技法はビジュアルノベルの革命と言っていいぐらいです。ほんとに素晴らしい。


 
 さて、内容についてですが。 


(以下の文章はネタバレを含みます)




  • 感想とか

 まず印象に残ったのは、バリバリの虚構批判さ加減です。
 どう見たって、この作品はオタクによるオタクの内部告発だった気がします。


 まず、アンリ・マユ=虚構を否定する虚構(=作品全体がエロゲ批判に働いている象徴)。バゼッド=虚構に耽溺する繊細な存在(=ユーザーの象徴)の構図からして、明らかにエロゲー批判。
 ループ世界において徹底したアンソロジーを発揮した挙句、最後の最後で「こんなヌルい世界にいちゃダメだよ! 現実を見なきゃ、現実を!」って直接的に言わせてループ物=エロゲーの代表的概念を自己否定している辺りに、ライター・奈須きのこ氏の怨念すら感じます。


 ……Fate/stay nightの販売から一年以上。この間、一体、何があったんだ?
 なんだか無邪気なユーザーには決して窺い知れない類の凄まじい闇を感じます。


 まあ、「正気にあっては大業ならず。モノカキは死狂いなり」を地で行きたいコンテンツユーザーにとって、「感情が極端に走ったとき、残酷が生まれる」作品を否定することはできないので、擁護しておくと、別に虚構批判しててもいーんじゃね? そのへんはライターの裁量だろうし、言いたいことも言えないこんな世の中なんて、ポイズン。とは思います。僕自身は虚無への供物とか好きだし。


 もっとも、アンチ・ミステリならぬアンチ・エロゲーとしての立ち位置から考えると相当な駄作となってしまいますが。
 もしアンチ・エロゲーやりたいんだったら、とことんベタかつネタなシチュエーションをてんこ盛りにしておいて、その上で全部破壊すりゃよかったんですよ。ちょうどカレンみたいにベタベタなエロゲキャラ作ったんだし。
 そうすれば、大顰蹙と喝采を浴びることができたはず。それをヘタに、キャラ萌えとストーリィ性の両方を求めようとして、キャラに耽溺→すかさず「これって全部嘘かもね」と言わせたりするのは微妙な気分というか。これは奈須きのこというライターにおける本当に悪い癖だと僕は思っているんですが、妙なタイミングで、それもバラバラに説教を入れるのは勘弁してほしいです。この点はほんとに京極道の悪い意味でのフォロワーだと思います。京極堂の説教はあれはあれでもはや様式美なんですけど、正直、同じような説教を何回も受けたくないんですよ。そこまで読者はバカじゃねえ、と言いたい。
 後はそうだな。
 「ああ、中途半端だなあ」とひどくガッカリしたのは、ラストで現実への回帰(=社会的更生)を果たしたバゼッドですが、「働きたいんです」と言った彼女が行き着くのは、結局、衛宮士郎の住居。つまり、虚構の温床……
 これにはさすがにドン引きしました。なんで元の世界に戻ってるんだよ!? 言ってることとやってることが百八十度変わってるじゃん! とか。なんで虚構に帰ってるんだよ!? 自分、一生懸命がんばるって言ったじゃん! などと、ツッコミをいれてしまいました。


 まあ、これに関してはあるいは物語構造としてのウロボロスというか(あ、そういえば、全然関係ないんですが、今作は蛇=女性=性欲の権化であるライダーにやたらスポットが当たってたっけ。彼女の血への渇望と葛藤が結構なウェイトを占めてるので、ライダー絡みはかなり女性崇拝的でした)、「結局、どこまでいってもこのシリーズはエロゲーなんすよ。てへっ☆」という奈須きのこ一流のギャグのつもりなのかもしれませんが、それだったら最初からウィンチェスター事件やれよ、とか言いたくなるのが人の性。
 要するに、フェイトの新作は僕にとって中途半端な印象が否めませんでした、という話。
 評価が低いというか、評価に困るというか。やりたいことは分かるんだけど、もちょっとスマートにお願いできなかったかしら、フェイトの一作目であれだけ素ン晴らしいモノ作れるんだから。とか、まあ、そんな感じ。

 多分、アタラクチャなんて性欲を否定する概念を持ち出してきて、そのため本来の主人公=士郎が異常状況=性的なフィールドに最後までコミットしなかったことが理由なんじゃないかと思います。セイバーとか凛とか結局のところ大筋には全く絡まなかったですしね。
 後はそうだな。
 アンリマユ=主人公という構図はつまり、奈須きのこ奈須きのこという構図になっていて確かにおもしろいんだけど、そもそも前作を踏まえれば主人公=あくまで一個のキャラクタで、作品全体を意味するアンリマユを背負えるほど器が大きくなかったってのが最大の失敗理由だったんじゃないかなあ……などと。

 


 なんか論考つーほどには筋道立ってない文章でしたが、まあ、クリアして結構な日にち経ってるんで、思い出しながら書いてるとこんな感じになるという好例ということで一つ。