ブラックホークダウン を観る。
「アメリカ万歳だ」とか「それでも反戦だ」とか「ソマリア人は単なる射的の的で、アメリカ人は射撃手だ」とか「アメリカ人だけが人間で、ソマリア人は人間じゃない」とか公開当初、なんだかそういう意見ばかりを聞いてしまったせいか、偏見が入ってしまって、見る機会を失していたんですが、ある時、「バイオハザード5」のイメージソースがこれになるらしいという話を聞いて、観てみました。
- 感想
思ったより公平だと思いました。つーか、これで親米はねーだろ、と感じました。そういう想像力を働かせることが出来る人は劇中で「なぜ怒れるソマリア人が描かれていたのか」まで想像力をふくらませた方がいいんじゃないかな、などと。
反戦は反戦なのかなあ、と思いましたが、むしろリドリー・スコットは押井守みたいなもんだなあという考えをもちました。これはハンニバルやグラディエーターでも思ったんですが、出てくる構図がめちゃくちゃおもしろいんですよね。とことん映像作家というか。
だから、根本的に思想云々というのが抜け落ちていて、戦闘を描きたかっただけなのかなあと。それなら、アメリカ側にフォーカスするのも頷けるわけで、要するにこの映画を報道するのはアメリカなんだから、そりゃアメリカ人にウケるように作らんと売れんわな、と。イノセンスの時の押井監督に足らなかったのはこの部分で、鈴木プロデューサーが広報打つことになるのが分かった時点で、初見の人にも優しいアニメーションを作ってればよかったんだろうなーとか思いました。
ソマリア人に全然カメラが当たらなかったのは、限りなくわざとだと思いました。なんとなく、そもそもアメリカ軍の秘密作戦を書きたいことが前提にあるわけじゃなくて、革新的な戦闘映像を描きたくて、ゲーム的な構図というかメタルギアソリッド4なんかもこれをイメージソースにしてるっぽいし、とことん映像が映画として成立するための方便でしかなかったんだろうなあと。
でも、僕がこの映画を公平だと感じたのは、エンドロールにソマリア人の犠牲者数(1000人以上)とアメリカ人の犠牲者数(ソマリア人の五十分の一程度)を一文の中に収めていることで、これをすることは間違いなく批判の温床になるだろうし、製作者だって分かっていたはずなのに、あえて一文の中にまとめたことに良心を感じました。
それから、冒頭で引用されるプラトンの「死者だけが戦争の終わりを知っている」は確実にギャグかブラックジョークかと観終わった後で思いました。そりゃ、まあ、現世じゃ戦争が終わらなさそうだからなあ。
後、アマゾンの素人批評をざっと目にした時に目に付いたのは、「女子どもを撃ち殺した(殺そう)としたことがアメリカのエゴだ」という意見で、銃を手に取った時点で非戦闘員じゃなくなるので、全然問題ないんじゃ……と思わず突っ込んでしまいそうになりました。
まあ、いいけど。
とりあえず映像がバイオハザードっぽかったです。武器を持って大挙してやってくるソマリア人達を見た瞬間、隣で一緒に見てた友達が「モロにゾンビじゃーん!」とげらげら笑ってたぐらいですから。後、イスラームの建築が妙にMGS4っぽいなあと思いました。
おもしろかったです。