ターンAガンダム(全話) を観る。

 見る暇が出来たので見ました。通して観たのは初めてです。ニューマテリアルモデルのターンA再販してくんねえかなあ。後、MGのターンA、ターンX出してくれよぅ。買うから。

 以下、ネタバレ。感想羅列。

  • 当時は賛否両論あったらしいターンAのデザインは下半身のシルエットがとてもスマートで従来のガンプラに比べ、なんとも人型らしくて凄く好きです。
    • ですが、胸のミサイルサイロは野暮ったいかなあ。というのが本音。そういう意味で、プラモよりニューマテリアルモデルのターンAが好み。全体のシルエットを絞ってくれたほうが見栄えがする感じがします。、ターンXは最高。めちゃくちゃ好みです。彩色がゴテゴテしてないし。ホントにMG出して欲しい。シド・ミードリファインじゃなくてもいいから。
  • キャラクタは富野作品にしてはあんまりクセがなかったかなあ。と思ったり。福井晴敏版を先に読んだところせいか、キャラが全員、黒々としたある種、幼稚な世界観(大人の理屈を使わない、公私混同はなはだしい思考様式)を抱えているものだと思ってたんですが、ディアナを除いて、みんなけっこう清清しいキャラだったので、ものすごく安心して観ていられました。まあ、我々の道理からすれば狂っているのは狂っているんですが、突如エイリアンに遭遇した人間達という説得力はあったと思います。(別の意味で狂ってるみんな大好きグエン卿も含めて)
  • 月光蝶黒歴史、ディアナ(月の女神)にはなんだかフレイザーを彷彿とさせられました。エウレカセブンの元ネタってわけでもないんだけどなあ。んー。
  • 「このターンXすごいよ! さすがターンAのお兄さん」「月光蝶である」はリアルタイムで聞きたかった。ギンガナムとハリーとが中盤から後半まで牽引したので、四十九話のMS戦が輝いてました。
  • 奥井亜紀の後期EDテーマソングがすばらしすぎる。エピローグはこれがあったから最高のものに仕上がった気がする。
  • EDにはいくつか解釈があるそうなんですが、自分なりの考えなどを記述。


 ラストシーンを見て、恐らくターンAガンダムロラン・セアックの物語ではなくて、ディアナ・ソレルの物語だったのだろうなーと思いました。
 なるほどロランは確かに作中の事態を収拾した英雄であるわけだけど、恐らく彼自身も周りも「自分(ロラン)じゃなくったってギンガナムを止めることはターンAがあれば出来たことだったんだよ」と思っているフシがあって、だからロランもエピローグであいかわらず運転手だし、誰もロランに対して格別の扱いをしていないし、最後ではディアナに付き添う介護人として遁世してしまう。
 そう考えると、エピローグにおけるディアナの指輪はロランじゃなくて、ウィル・ゲイムのものと考えるのが妥当かなあと思ったりする。
 それだとロランに失礼じゃないか、と思う人もいるんだろうけど、でも、これはロランの、英雄にならなかった英雄の物語じゃなくて、ディアナ・ソレルというシステム(=この場合、人類回帰という冷酷な使命)にひたすら圧殺されつづけてきた個人の回復と捉えれば、英雄が王女を娶るわけじゃなくて、王女が役割を終えて、市井に降ったということになる。ロランはその介添え人で、古いシステムとの架け橋、王族であったことの身分証明書(ターンAのパイロット=王族が持つ「美しい剣」)でしかない。
 エピローグの中で月と地球の人間達が共に歩んでいくエピソードがひたすら取り上げられているのも月の女王の役割「地球への帰還」が完了した証明で、それらを踏まえたうえで最後のシーン、1000年に及ぶ冷たい月世界の女王として生きてきた彼女が、コールドスリープのカプセルではなくて、地球の、木の家の一室に据えられた柔らかなベッドで眠ることで、ようやく「ディアナ・ソレル」の物語は終わるっていうことなんじゃないかな、などと。


 まあ、この解釈だと、ソシエがロランに振られたことを引きずっていて、ついにはメリーさんを捨てるエピソードが意味不明になってしまうんだけど。多分、ディアナが近い未来のうちに死ねば(そういえば初期プロットにおいてはディアナの老化が顕著になっているということらしいし)、ロランはソシエの許に戻っていくんだろうから、再会後、めちゃくちゃ美人になってツンデレするソシエと、へらへら笑いながらビシニティに戻っていく優柔不断なロランを容易に想像できてしまうことでよしとしよう。