『業務日誌』

 先週の終わり、友人Kに頼まれて、「バノイ選集」というスペイン語の本を探すことになった。本国では絶版だが、初の邦訳を行いたいとの意向を示される。作者の簡単なプロファイルをもらった。ブラジル在住の作家であるらしい。バノイ・ロジャー・ヘメル。メキシコ系の二世カナダ人で今はブラジル人。批評家嫌いとして逆の意味で欧州の蒐集家に知られているそうだ。時代から見ても新しい作品だしインキュナブラ・マニアの目に適うような類でもないはずだと思うが、羊皮紙で書かれた本だったのだろうか? とその時は疑問に思った。まあ、業種的な思考はよそにして、一人の読書家としてはブラジルで批評家嫌いというとハーラン・エリスンが思い出された。
 56年カナダ・イエローナイフ生まれ。ティンエージャ期の早くからヨーロッパに留学。経済学の超名門であるオランダのエラスムス大学ロッテルダム経済学部に進む。78年、「トロツキーについて(で訳はよいか?)」と「ロマノフの終わり(末期が正しい?)」がスペインの王立アカデミー懸賞論文賞をともに受賞。翌年、独特の構成の短編連作「悪夢(悪い寝つき?)」でオランダの幻想文学賞を受賞。修士課程をドロップアウトしてから89年のブラジル移住まで17の長編と130以上の短編を発表。多作家の割には日本にはごく一部のマニアの個人所有を除いて原著が存在しないし邦訳は皆無。タニス・リーの大部分の著作ですらそうである現状を考えれば、さほど珍しいことでもないと思うのだが、留学時代に偶然、手にとった時、なかなか読ませる作品だったとかで西語専修していたKがこの度、キャリアアップの一貫として是非とも邦訳したいのだそうだ。
 とりあえず、同業者をそれとなく巡ってみることにする。それから古書店と、アメリカの複数出版社に英訳版が存在しないかどうかをメールを送って確認する。午前八時。
 朝食を食べ終えると、先日亡くなった某電気機器メーカの会長の蔵書を整理する仕事の残りを片付ける。1万冊に及ぶ書籍群をインデクス化、電子的なファイルとして保存する。書庫の中身の大部分は故人の出身地である岡山の図書館に寄贈されるそうだが、それとは別に甥っ子(といっても四十代だが)さんがそのうち、八十四冊を欲しいとの申し出があったので、図書館と遺族、双方の了解をとりつけた上で新たに区分けする。尾崎士郎のあまりメジャーではない作品が目立った。保存された書籍はどれも状態も良く、その時点で憶えている限りで「逃避行(改造社。当然、初版)」は相場が確か4万そこそこだったので、なるほど図書館にやるには惜しいのだろうと微笑ましくなった。
 正午過ぎには仕事を片付いていたので、雇用主の昼食時が終わるのを見計らい、まとめたリストとファイルを渡しに邸宅を訪問する。遺族から聞いた話によれば、件の男性は不動産とITビジネスを手がけているらしく、さらに得心がいった。趣味と実益の両立させる辺り、趣味のいい人なのだと感心する。しかし、スーツはバレンチノの縦のストライプ、いかつい容姿と相まって、まるでヤクザファッションだと内心で笑いがこみ上げた。手渡したリストの八十四冊の合計金額価値は600万相当。本もバカにならないなとこういう時はつねづね思う。
 午後六時頃。日帰り出張からの帰宅後、メールをチェックする。古書市の案内と、アメリカからの回答。『貴店の求める商品は見当たらず。折りよければ直接連絡されたし』。同業者からの返答はなかったので、まだ探している最中かそれともメールを読んでいないかだろう。念のため、神保町の検索機能を使うが該当はなかった。同業者に電話する。読んでなかったらしい。明日には回答をもらえるとの約束を取り付ける。
 午前一時。アメリカ出版社の猛烈なセールス(当然、別商品の件で)をのらりくらりとへたくそなジャングリッシュでかわしていると、ふとラテン語の原著を集める蒐集家がいたことを思い出す。『OK牧場の決闘』という単語を聞いた瞬間、慶応の教授だったことを思いだしたのだ。自分の脳神経はどこで結線しているのだろう? と、自嘲したくなったがとにかく、早速、セールス電話を打ち切って顧客名簿チェック。
 三十分ほどで発見。もしかしたら何か情報を知っているかもしれない。万が一、所有していたなら、譲ってもらえなくても、借り受けれないかどうかを交渉できないだろうか。と期待したが、名簿の端に赤線が引いて、上に日付が記入している。一昨年、死去されたことを思い出す。最後の依頼が四年前だったことも書いてある、また一人愛書家を失っていることに気付く。残念だった。出版業界の縮小とあわせて、久々に本というメディアに対して危惧を憶えた。
 「最近の若い人はいいものを自分で探すことをしない」だとか「マスコミによるベストセラーの押し売りは結局、面白い本を殺してる」だとか「古い本の価値は上がるが最近のベストセラーはゴミクズ同然の値段で売買されてる」だとかいう同業者の中でも年寄りの嘆きを思い出す。全てイヤな言葉だと感じるが、こうしてみると否定しきれないものでもあるとも感じるようになった。夜食を食べていると、Kから「目的の作品がこっちで見つかった。キャンセルするが今度、飯を奢る」と携帯メールで連絡があった。やるせない限りだった。