この素晴らしきキチガイどもに
耳は指か、或いはドラえもんによろしく - ファッキンガム殺人事件 - ファック文芸部
優雅なレイセイが最高の復讐である - ファッキンガム殺人事件 - ファック文芸部
ファック文学部の描く拷問三部作のうち二編。
これに関しては、三部作が終わった時点で語りたかったんですが、二作目を読んだ瞬間、天啓を受けました。そうだ。オレが今、見たい読みたい書きたいのはこういう作品なんだと。閃いたのです。
私事で恐縮ですが、先日、ガガガ文庫を突貫することを決意して以来、心身込めて「どうやった本気の嫌がらせになるのか?」ということに頭を悩ませ続けたんですが、分かりました。
テーマは「筋は通るが、意味が通らない」の精神で行こうと思いました。「無理が通れば、道理が引っ込む」の精神よりもなお苛烈。そんな世界を描きたい。
例えば、一作目においては、拷問するもの(甲)とされるもの(乙)が会話を交わしています。指を切り落とすという段になって乙は甲に嘆願します。
しかし、それは通らない。なぜならば、甲にとって「嘆願を受け入れること」は自らの業務に入っていないからです。
また甲は、指と耳という明らかに別物である二つを同一化することを自らの論理によって肯定します。
明らかに理不尽。しかも、その発想には薄皮一枚のところで矛盾が存在しないのです。
外面的には、甲の発想は狂っています。社会およびそれを構成する概念である倫理が一般的正であるならば、明らかに誤。
しかし、論理を展開して、その誤を正へと転換できれば、それは正となります。事実、甲の論理において、耳と指という別物が、なぜか同質のものと変換されています。
無論、この「誤が正と化す」行為には結論が相対化するというリスクがあるために、薄皮一枚。結局、めくってしまえば再び誤とすることもできます。
筋は通っているが意味は通らない。この不条理は現実世界でも存在します。
例えば、飲み会に遅れてしまい、「かけつけ三杯」といって本当にジョッキ三杯を一気飲みさせられたり。
好きな子に告白して、いい友達でいましょうと言われて、本当に友達のまま終わったり。
不祥事をやらかして、記憶にございません、と言ってみたり、誠にもうしわけございませんでした、とメディアの前で頭を下げてみたり。
限りなくやけっぱちな納期だけど、それでも書類上はそうなってるんだからといって、ムリヤリ頑張らされたり。
この理不尽を最大限に増幅した話を絶対に書いてやろうと思います。
具体的には、生死に関わる部分で享楽的なバカとか。