知り合いらと鍋をつつきながら、昨今のサブカルチャー界隈についてダベる。


 ドラゴンボールの新作ゲームをダラダラやりながら、スキヤキの残りを漁りながらの話。

A「どうなんすかね? 最近のオタク世界」
B「とりあえず今のトコ、エポックなのは何だっつー話からでしょ」
C「メイド喫茶? 後、ハルヒ? ……つーか、このゲーム、ストーリーモードだっりぃ。ロード多すぎ」
D「サブ分岐が多すぎると、テンポ悪いし作業感がハンパないなー。 ところで、メイドってまだ流行ってるの?」
B「いやー、もう疲れてるでしょ。パンク寸前じゃない?」
C「結局、『メイド諸君!』で看破されていた『それは風俗店でしょ』が全てを集約しているよね」
D「つーか、基本的に媚媚なコスプレが商売として成立するとダメになるからねー」
A「じゃあ、女教師とかナースはどうなんだよ?」
B「あれは職業モノだから、アリアリですよ」
C「バニーとかバドガールは?」
B「ありゃフィクション。だから、今時バニガとかいないじゃん」
C「ひどい! ハルヒに謝れ! 体張って活動してる彼女をバカにするな!」
B「いやー、どうでもいいよ。ハルヒだってもう賞味期限切れでしょ」
D「うわ……」
A「出た。これだから動物化したオタは困るんだよ。パッケージ商品を大事にしないから。この、すくたれものめっ!」
B「どーでもいーよ。つか、動物化ってのも解釈の問題じゃねえ?」
D「ああ、前言ってた順応の話?」
A「は? 何の話スか?」
B「ユーザーが刹那的なのは、大量に商品が一度に出回っているからで、それに対応するために一本の作品にかけるコストを下げるための態度が『動物化』って話」
C「なんか、それはそれで詭弁のガイドラインにのっかってる気もするけど」
D「まー、でも、どっちかっつーと『動物』か『人間』かって言われると、『動物』サイドに立ちたいほうでしょ?」
A「オレさー、その辺りのやりとりっつーか、罵りあいっつーか、優越感ゲームを見てて笑えるのが『人間』サイドの連中が、いわゆる萌えオタに『お前ら、動物だからダメだっ! もっと現実を見ろっっ!』って言ってるそいつ自身が『説教するマスカキザル』になってるのがたまらんわ」
B「あー、割とメタに関しては手放しで喜んでる感じがあるしね。その態度は君らの云う「動物化」じゃないの? みたいな」
A「んで、そうなると『動物化』の木の下でグルグル回ってバターになる虎みたいな優越感ゲームが始まるんだよね」

 以下、長くなるので要約。

  • 東浩紀やら大塚英志やらの功罪について。
    • 本来、日の目を見ないオタクの日常タームを歴史的な意義付けをしたので、オタクを舞い上がらせた。
    • それはそれでおおいに結構で、刺激的ですらあるのだけど、今度は歴史的意義などという高尚さをまとう作業に足をとられるようになった。
    • それは非常にめんどくさい。つーか、ほっといてくれ、と思う心情が出てくるのが当然。で、そのめんどくささにつけこんで、彼らは自らの版図をどんどん広げていく。彼らも彼らなりにめんどくさいわけだけど、お金もらってやってる分、まだ分がいい。
    • 結論、声の大きいやつは偉い、強い。後、佐藤亜紀の批判は快刀乱麻にも程がある。
  • ここからまったく話が変わって、フォントいじりについて。
    • テキストサイト周りで流行ったフォントいじりはブログで生き残るのか。
    • 結論からいって、死滅するだろう、ということで一致。
    • ブログのスタイルは文書の量を増やすか、減らすかで二極化しているけど、個人レベルの与太話に限れば、省エネ志向が強い。メモ帳的な扱いも含めて、いかにめんどくささを省くかに集約していく。いちいちフォント変えの作業をこなすのはめんどい。
    • 後、フォントいじりは頭が悪く見える。自覚的に「頭の悪さ」をウリにしてるサイトならともかく、人間誰だって「頭が悪い」ままではいられない。
    • その意味で、2chまとめサイトのようにあらかじめ感情的なやりとりが多いと了承されている場で生き残るかもしれない。
    • こうなると、本来のメディア編集におけるテロップなんかの演出技法として戻る形になるのが面白い。
  • そろそろ次世代の漫画エースを決めようぜ! という話について。
    • 『ダレン・ジャン』の漫画版。
    • 結界師
    • サンデーばっかか。
    • ジャンプがスタンダートから降りてしまった理由について。
    • 似たようなジャンルを乱発しすぎた。しかも、類似したジャンルの中で細分化してしまった。最大公約数としての人気作品の不在。
    • ワンピとアイシルとナルトとブリーチは?
    • アイシルはともかく、ナルトとブリーチとワンピはそれ自体が模倣を生み出しすぎたので。
    • ナルトとブリーチとテニプリの叩かれやすさは何に由来するのか?
    • おそらく独善さの問題。作者のナルトの動機に対する盲目的な肯定とか、ブリーチの作者のウォシャレへの偏狂的な執着や、テニプリの作者の美意識の問題。
    • これらが読者への説明不要な独善さを生んでる。結果、それにのっかれないとキモチワルク感じる。しかも、そのキモチワルイ部分がかなり前面に出てきてるので、叩かれやすい要因にもなる。
  • メタかベタかの話。
    • どっちが有効なのか? の議論は続ける価値はあるが、意義はなくなった。
    • 結局、時と場合による。という結論しかありえない。素材は有限なので、使い方の問題に集約していく。
    • そうなると、演出万能論が今後も幅を利かせ続ける。
    • それはそれでつまらないので、次は演出に限界が来た場合の話をする。
    • そもそもよく云われる「演出」って何なのさ?

 以下、次回。