「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」を見る。

 

 レンタルで見ました。面白かったです。
 第一印象は、95年の「GHOST IN THE SHELL」を二時間TVドラマ「攻殻機動隊」として06年に再構築するとこうなるのか、と思いました。


 
 以下、思いつくままにネタバレ所感。



 まず面白いなと思ったのは、今回はメディアから遠く離れた物語だったこと。
 前作、前々作と劇場型の大掛かりな犯罪(というよりも陰謀)を取り扱って社会問題を煽る描写が多々見られたのに、今回は代表的マスメディアからのアプローチが登場しなかった。
 もっとも、これは今回、取り扱われる犯罪の性質がマクロとミクロとのクロスオーヴァーしたものだったからかもしれない。ドメスティックな問題や、〝一部〟政治家の暴走は、社会の深部にあって、それが潜在的である限り、広く問題にされがたい。むしろ、前作、前々作の陰謀がレアケースと見たほうが素直だし、精神衛生的にも優しい。あるいは、スタンドアローンコンプレックスの発症条件が必ずしもロゴスから発生するものではないということの見直しを意味してるのかも。おお、脱構築。そういや、リゾームとか出てきたしね。まあ、いいや。


*1
 これまでの大事件と違い、ソリッドステートの意思は明らかに、より生活的な、レヴェルの低い欲求段階から生じている。まあ、原作当時のネット感ってニューサイエンスつーか、トランスパーソナルつーか、ニュータイプ幻想が感じられてSFとしてはもういい加減、陳腐にもほどがあるので、同じ概念を現在から再検討することはいいことだと思う。


 ただ、ネタ元になった児童虐待と福祉問題に絡んだ、ソリッドステートの引き起こした二万人の児童の行方不明は、ハンパじゃないほど深刻な事態でもあるわけで、時間的な制約の都合とはいえ、そのへんのフォローが「願わくばあの子達が〜」とか「あなたがた政治家は〜」なんて希望的観測やレッテル貼りに留まったのが残念でした。
 特に、どこぞの「うつくしー日本」なひとと「だいくんいー」なひとを足して二で割ったような政治家似とのやりとりが、「リベラルな政策が実は保守派の陰謀に使われてた! 許すまじ」って感じだったのは、神山健治一流のギャグなのか? とかなり悩みました。多分、たまたまだと思うんですが、時期が時期だけに、笑いどころとしてはデリケートすぎるだろうと。怒る人、いないのかな?
 あ、あと貴腐老人は、ニートネタっぽい。劇中では問題になっていないはずの、労働力と少子化問題を同列にあげているところから推測。当たってたら、褒めて褒めて。

 
 お気に入りは、トグサの自殺のところで発砲した瞬間、バトーが力なく手を頭の後ろにやって、同時にカメラが引いていくシーン。あそこは前のカットがバンバン入れ替わって緊迫感を作って、弛緩させるシメとして素晴らしい。
 後は、ラスト近くで軍用サイボーグとタチコマとバトーのコンビが喧嘩するところで、一瞬、ケツを振ったタチコマの操縦席の扉が開いていたのが一瞬、写りこむところかな。しっかり伏線になっている細かい、いい仕事です。気付くと嬉しい。
 

 次のシーズンは何時やるんだろう。スタンドアローンコンプレックスという概念の肉付けが始まっている(恒常的なアイコンとしての草薙素子とか、集団的(つーか、共同体)無意識から生じるリゾームとか、かつて「GIS」がそうしたように物語をポストモダンに導こうとしている積極的な姿勢が打ち出されている)ようなので、楽しみです。

*1:僕の解釈において、スタンドアローンコンプレックスとは、旧来のシステムに齟齬(不満といってもいいかもしれない)を感じる複数人が、おぼろげにその解決を潜在的に希求するタイミングで、ある特定のアイコンが起点となって表出すると一斉に感染する、現状をブレイクスルーしようとする共感現象のこと(第二次笑い男事件が代表例)。そして、その性質上、この現象は常に強固な組織によって鎮圧される(組織的な活動がひどく劣るので。この弱点は公安九課の危機で度々、例示されている)。ちなみに、旧・公安九課の運用システムはこれと従来の組織運営のボーダーだと思う