邦訳ウォッチメンを手に入れた。


 年の暮れに鼻血が出るような事件が発生しました。実家に帰る途中、何気なく寄った古本屋にて、ウォッチメンを買えてしまったのです。しかも、二千円。


 ウォッチメンを語る前に、この作品がいかに入手困難であったのかを説明しましょう。
 始まりは昨年の六月です。昨今、連続するアメコミ映画化から、各原作にも興味を持ち始めた僕は、まずネットで買える範囲の作品を購入しました。その数、二十冊以上。日本のマンガとは違うアメコミの味を堪能しました。(それぞれのちょっとした感想などはhttp://d.hatena.ne.jp/y2k000/20061117にて)
 そして、ネットでのアメコミ情報を眺めるうちにある事実を知ったのです。
 曰く、
「アメコミ史上最高傑作」
 曰く、
「アメコミを新たな次元に引き上げた作品」
「これを読まずにヒーローを語るなかれ」
 それがウォッチメンだったのです。

 こうなると俄然、興味を持つのがオタクの性であり、このいまだ見ぬ傑作は僕の中の所有欲リストのトップに燦然と輝き始め、本能の赴くままに探し始めました。しかし、ウォッチメンはすでに絶版となって久しく、アマゾンにおける当時の取引価格はすでに二万円を超えており、ネットオークションでの相場も時間が経つにつれて上がって、三万円前後という高額。
 一冊の本に三万円を支払う、というのはあまりにも勇気がいる行為です。僕にとって必要なのはその本に付随するコレクションとしてのプレミア価値ではなく、あくまでも「ウォッチメン」その中身なのですから。
 そこで、僕は邦訳版の購入を一旦諦め、しかし復刊ドットコムに投票を済ませると、原著を取り寄せることにしました。
 邦訳作業にとりかかったのはいいものの、辞書片手に洋書を読む時間がそれほど与えてもらえるはずもなく、生来の堪えのなさにより、ついに頓挫していました。
 無論、この一連の作業と同時に、他に淫すべき物語は無数にあり、未読の魅力的な作品たちを消費していましたが、それにしても頭に離れないのはウォッチメンでした。
 これよりすごいかもしれない作品がもうすぐそこ、目の前にある。ちょっと手を伸ばせば、たちまち転がり込んでくる距離だ。さあ、棚に手を突っ込め。
 こうした誘惑が、あるいは無謀とも勇気とも置き換えてもよい選択を迫ってくるのです。というのも、この時すでに僕の中で、無数の物語に耽る行為自体がかえってウォッチメンに対する飢餓感を煽るように作用していたためでしょう。なによりすごいかもしれない物語を手にするべきだ。実体としてそれを獲得しろ。そして、そのためのスイッチはつねに目の前にありました。
 これを耐えるということは無限の痛痒とも恐るべき快楽ともいうものであり、そしてまた、まるで僕の心境を反映したかのように、アマゾンの価格は高騰を続けついに四万円にまでなりました。このような状況では、値段を吊り上げる転売屋への殺意と、焦れるような物欲が日々、増大しても不思議ではないでしょう。いよいよ購入を決意しなければならないだろう、というか、もうダメだ。僕の負けだっっ! 年が開けたら、何にも優先して買おう、買ってしまおう。
 そんな日だったのです。僕の目の前に突如として、事件が発生したのは。
 小さな古本屋でした。エロ本とロクに手入れもしていない古いマンガしかないようなこじんまり、というには上品過ぎる、あまりにうらさびれた店の出入り口横。ガラスケースの中に、まるで宝物のように仕舞われてそれはあったのです。
 最初は値段を見間違えたのかと思いました。20000円ではないかと。隣にある菅野美穂のヌード写真集が6800円。その隣の銃夢・完全版全巻セットが8700円。しかし、高額な商品を入れているガラスケースに面立てされた本の値札にはあくまでも2000円とありました。
 僕は震えました。わななく手足をなんとか抑えながら、年寄りの店主に言いました。
「これ、出してください」 
 こうして、僕の2006年は終わったのです。


 そして現在、年が明けて早速、欲しい本を探しては購入しておりますが、去年のそれに勝る喜びを会得することはなかなか難しいようです。欲しいものを手に入れるという行為は恐るべき代償を払わなければならないのでしょう。最初は小さく、しかし快楽感覚は段々と肥大化していき、時として桁を忘れたかのように振舞いはじめるのです。
 麻痺していく快楽が最終的にどこに行き着くのかは僕自身、まだ分かりません。しかし、僕は恐ろしさとともに楽しみすら覚え始めているのです。一冊の本を手に入れるために支払う労苦について。それは時として無駄になるかもしれません。報われない場合もあるでしょう。しかし、それにも勝る無上の喜びがあることをすでに知ってしまったのです。
 今、僕の目の前には一冊の本があります。それには十万という値段がついていますが、大丈夫。それを必ず手に入れるときと場所と、手段はあるはずなのですから。