「デスノート」「スーパーマンリターンズ」「グエムル」を見た。

 原作の細部を詰めていくように進む前半の警察サイドの脚本はよかった。
 また、公開直後から云われていた「マジメで頭が良くて司法の限界に絶望したら、冷酷な殺人鬼になれる夜神月くん問題」は確かにひっかかった。
 これだったら、彼女との関係の変化はもうワンエピソード挟んでもよかったんじゃないかしら、とか。
 後、原作にもあったコンゲームとしての粗*1は再読性がないまま、事態が進行してしまう映像だと、どうしても目立ちます。
 くどいぐらい因果操作したと思ったら、交渉相手の心理への依存などの不安定な状況での暢気さ、そういうわずかでも間違えれば崩壊しかねない状況の無自覚さが、別の意味ではらはらさせられました。*2
 まあ、細かい点ってのはいくらでも突っ込みようがあるため、野暮天となるので、素直に楽しめたかどうか、と言われると全然楽しめました。
 それに、この作品に触発されて、映画化されるアメコミのように、実写向きのリアル路線な原作漫画が出てきてくれそうで、それが楽しみです。

 地上に降りてきた神さまのお仕事を云百億円もかけて、精密な描写で描く映画。
 人間はたいがいアホなので、さすがのスーパーマンも大弱り。という話。
 オリバー・ストーンの「アレクサンダー」以降、この手のストーリーは、どうしても現代アメリカを反映したもの、と読めてしまう。神の不在と帰還は、国内政治におけるキリスト右派の台頭と、ブッシュ外交のユニテラリズムを強烈に意識させられる。
 後述する「グエムル」にしてもそうですが、どうやら現在の僕にとって、映画というジャンルは非常にアクチュアルなものになってしまっているみたいで、ちょっとイヤになる。


 なので、そういう社会問題への意識をできるだけ省くと、レックス・ルーサー最高。それから、VFXが素晴らしすぎ。
 ソニックブームの発生とか、力が入りすぎて飛行機の羽根がボッキリとイったり、ボンネットがベコリとヘコんだり。
 こういう細かい描写に神は宿るんですよ。ほんと。いやー、何百億も使った仕事を安く消費できる現代はなんていい時代なんだろう、と思いました。
 また、ラブストーリーとしても変に甘ったるくなくて、むしろ詩情に富んでいるぐらい。
 恋敵も最初はちょっと演技が類型的なチャラ男だったのが、後半になるにつれて素直にいいヤツになってくる。まあ、これも「神の仕事を助ける善良な市民=アメリカ市民の模範」のカリカチュアライズだといってしまえば、アレなんですけども。
 あ、何度もいいますが、ケビン・スペイシーは最高です。レックス・ルーサーだけはほんとねー、とにかくステキなんですよ。

 凄い映画でした。
 素晴らしい作品ではなく、凄い。洗練されていないために、かえって心を揺さぶられる。
 なにから書こうか迷うのですけど、僕が感じ取ったものを挙げると、
 対米感情の悪化の表れ。
 最底辺にいるゆえに社会の不条理に直面するという倒錯。
 潜在的な真実への無自覚さ。

 の三つになります。
 対米感情については現在進行形なので、この映画が公開された時点と現在ではまたその在り様が変わってきているのですが、問題が深化していく最中を見つめる「観客としての日本人」「単なる観客」の自分が映画を見ていると重なってきて、不思議な気分になりました。こういう経験は初めてで、興味深かったです。
 この部分について、そもそも隣の国の問題なのに、「アメリカのスタジオに怪物のCGを外注したのに、反米思想を撮るなんて滑稽」とかトンチキな主張をする、当事者でもなんでもないくせに声だけはでかい、デリカシーのない映画ライターがいますが、*3
 あれで政治的スタンスを気取ってるつもりだから、ネトウヨはバカだって思われて、かえってマトモな右翼の人が可哀想よね、とか。
 なんかどんどんヘイトトークになりそうなので、次の話に行きます。


 社会の不条理が怪物として現前して、経済的に最底辺にいる家族がそれに振り回されるというのは非常に示唆的で面白かったです。
 怪物は社会の見えないところ=町の地下を這う水路=人々の営みで垂れ流される汚水の場に「巣」を張って、政府関係者がそれを見つけられず、探し当てるのが娘を助けるために本当に切羽詰っている家族だけ、というのは、ものすごくパンチの効いている流れで説得力があった。
 果たして緊急事態の当事者というのは誰なのか? そのアイロニカルな視点には独特のユーモアがあって、思わず唸らされました。


 また、不条理がつい解消され、ありきたり日常がかえってきても、それは本当に「日常」であるかはまだ分からない。
 怪物を撃破して、夏から冬へと季節は移ろって、なにごともなかったかのように埋もれていく景色のなか、真実が発表される。
 しかし、それが本当に真実なのかは分からない。
 なぜならば、コップに入るぐらい小さな畸形の生物が人を襲う怪物になるまで数年かかったのに対して、物語が決着してから真実が明かされるまで、たった数ヶ月しか経っていないのだから。
 怪物を処理するために使われた乱暴な手段は、将来への遺恨となるのではないか。あるいは、存在しないはずの不条理の足跡とは、実は何年か後に発現するものではないか。不条理とは実は不条理でもなんでもない、当然の帰結だったのではないか。
 こうした疑問をよそに訪れる真実への無自覚な決着は、産業発展国としての韓国の姿を浮き彫りにする。
 だからこそ、物語がハッピーエンドでないことに意味があるのだと感じました。

 

 



  
 

*1:過剰な因果操作とかルールの後だしとかのアンフェア、作者がデスノートルールを使いこなせてないくだり

*2:これは原作に比べて、月のゴーマン気質が低めに設定されてたため、浮いて見えたってのがある。そういう意味で演出ミスともいえるし、そもそも藤原竜也にアクがなさすぎたのかもしれない

*3:まあ、前田有一日刊ゲンダイ的オヤジセンスがとりえのライターなので、DISるまでもないんでしょうけど、やっぱムカついたので書いておきます。