書かぬなら、書いてみせよう。ジョジョ1.5


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 ジョジョ劇場版の失敗原因の最たるものはいわゆる「信者コケ」だと思うのです。
 ある作品にドハマリしたファンがいます。信者と呼ばれる人種です。彼らは、その作品を経典の如く崇め奉り、愚鈍なる世間に真実の光をもたらせようとします。すなわち、布教と呼ばれる行為です。
 ところが、信者はそれなりに世の中をくぐりぬけているので、自分たちがマイノリティ=作品がメジャーではないことを知っています。よって、その布教活動には慎重さが求められます。普通に突っ込むと自分の友人、家族その他諸々の関係を往々にして狂わせてしまうからです。
 このリスクを避けるため、経典たる作品がいかに「普通に」面白いかを語り始めます。結果、毒にも薬にもならない作品照会文ができあがります。当然、「普通」なので、読んだり読まれなかったりしますが、中身は異端の書なので、布教対象である普通の人たちは書かれている内容にドン引きするか、白けます。
 このように「ある作品が好きすぎてたまらないんだけど、その魅力をそのまま伝えると様々なデメリットが生じるかもしれないので、余計な気を回して一般化した結果、なんともいえない微妙な出来に仕上がること」を「信者コケ」と言います。愛情の空回りの見事な結実といえるでしょう。


 ジョジョの劇場版なんてファンしか観に行かないんだから、三ヶ月連続上映の90m×3部作とかにすればよかったんちゃうかしら、と思います。
 当然、シナリオや演出はコアなユーザー向けにギュンギュンにカスタマイズして、
 例えば、
 第一部は少年時代〜最後はDIOの「オレは人間をやめるぞ」宣言という強烈な引きで完。
 第二部は、館戦からツェペリとの遭遇→修行〜「PLUCK(勇気)」をもらうところでまたしても完。
 第三部、ツェペリ死す→ダイアーさんズ到着→DIOとの決着。
 まで忠実にやれば信者は滂沱の涙を流して、DVDを買ってくれたでしょう。

 あ、もちろん誤字ゼリフは聞こえるか聞こえないかの微妙なラインでネット論争を呼びます。仮にこれを「オペレーション・ハルヒ」と名づけましょうか。原作付き映像作品の強みが発揮される手法ですね。ジョジョの場合、一般的認知も高いので(好悪は別にして)、悪くない判断じゃないでしょうか。

 
 以上、映画を見ていない*1人間の所感です。 

 
 んでここからが本題ですが、参考サイトにもあった「幻のジョジョ1.5部」の妄想スクリプトを実際に書いてみようという話。

(以下、次回)

*1:だって一番近い公開劇場まで往復で一時間半、交通費が1300円もかかるんだもの