「時をかける少女」DVDが届いたので、さっそく再見す。

  • 感想

 いい作品ですねえ。しみじみそう思います。
 劇場で見たときは、ちょうど暇な時分だったので、細田守演出がどこでどう冴え渡っているのか確認したいと見てたので、例えば、
 クライマックスのシーンで土手で今にも泣こうとする主人公の横を、自転車に相乗った同じ年頃のカップルが通り過ぎる瞬間のタイミングの上手さだとか、魔女おばさんが思い出話をする場面で、棚に置いたガラス越しの花の姿がラベンダーだとすぐに判別ついても、その後、もどかしいぐらい写真に焦点が当たらない面白さだとか、細田守の得意技の「同ポでコミカルな演技」をリフレインで語らせる楽しさだとか、そんな部分を見てたので、今回、じっくりとストーリィを眺めました。


 とにかく夏の物語ですよ。夏というと、すでに学生の身分に甘んじることのできなくなった社会人にとっては憎い憎い「夏休み」という単語がまっさきに出てまいりますが、夏休みが待っているとなると、学生は様々な思案をめぐらせます。なにしようか、とか、どこいこうか、とかそういう未来図を思い描いて、んで、その絵図が実際に描けなくて、ただ漠然と8月31日が過ぎちゃってもそいつは問題じゃなくて、ただ、そういう時間が待っていることが楽しい状態なのが夏。んで、そこに絡んでくるのが劇中二大キーワードである「時間」と「待つ」という単語。


 ふつーの人間は絶対普遍の時間の流れに逆らうことができないわけですが、劇中で登場するタイムリープという能力は、「時間を待つ」という普通の態度を一変させるもの。
 そうして獲得した「時間を待たない」「時間を迎えに行く」態度によって訪れるドタバタ劇が描かれるんですが、色々あって最後の最後でやはり「時間を待つ」の態度に戻っていく。ところが、このストーリーでは「時間を待っていても」「時間を迎えにいく」ことができるという結論に至る。
 漫然と時間を待って、8月31日に宿題でヒーヒー言わされるか、諦めてふてぶてしく白紙の課題を提出するのではなく、例え、そうなったとしても、自らで決定すると決める。自己決定の術を獲得する。
 かくして意図せず置かれた幸福な季節が過ぎ去ることで、幸福な季節が始めて意識され、俗に言う「青春」というものが登場人物にも視聴者にも現前する。
 いやー、いい話ですよねえ。つくづく素敵です。限定版、買ってよかった。*1絵コンテ買わずに済んだし。

  • 余談


 ところで、劇場で見たときは気にならなかったんですけど、二回目、腰をすえて見ていると気になるのが、高瀬君の扱い。あのルートだと、いじめ回避できてないのでは?

*2できてるとしても、エクスキューズは欲しかったかも。まあ、ラスト辺りでは、心理描写がどんどん主人公とそのお相手にフォーカスされて、物語の回収に向かって走っていってしまったので、*3、気にするのはナイーブすぎるかもしれませんが、やっぱり気になるよなあ。


 付録冊子のスタッフ対談を見る限り*4「学生が生きるには今は相当ハードになっている」と暗い世相について語っていて、そうなると学校世界のハードな側面について意識していなかったはずはないので、高瀬君を置いてけぼりにした理由がますます気になります。
 オーディオコメンタリーでフォローされてるのかしら。

 それから、気になったのは、多分、散々、そこいらで指摘されてると思いますけど、タイムリープ能力を手に入れる以前に時間跳躍しても、タイムリープ能力が失われてなくて、でも、入手直前に戻ると能力が消失しているのが不思議。カウントの原理が不明。*5
 SF的にスマートな解釈してるひととかいたら、教えてください。絶賛します。

*1:ちなみに、特典の切り出しフィルムは「夕暮れで千明と真琴が自転車に乗っているシーン」でした。結構、いいショットをもらった?

*2:もっとも、時間の流れが完全にデフォルトに戻っているとしたら家庭科室の惨劇を起こしたのは真琴なので

*3:それまでの、くだらなくも楽しいリフレインを放棄し、シリアスな一本道に歩きはじめることを、シナリオの妙であり是ととらえて秤にかけるならば

*4:まだざっと見しかしていないのですけど

*5:なんとなくタイムリープの回数についてはシナリオ段階で相当モメたと推測。あの決着に向かうためには、あそこに戻る必要があるけど、矛盾が露骨になるため、わざと曖昧にしてたんだと。