色々と読んだ。

 思うに、第二部の始まりは期待できるものが多かったのです。
 第一部でどのキャラの言動がいくらバカだろうがトンマだろうが、それは第一部、すべては過去の話になって、すべてが仕切りなおされて、キャラの成長を描かれるわけだったのですから。しかし、残念なことに、変わったものはキャラデザだけという現状。
 その理由は明らかで、作者が過剰にキャラの成長を描こうとしすぎているからなんですが、例えば、シカマルの持ち上げっぷりなんかがものすごく分かりやすくて、第一部以前以後で彼の戦術やら戦略やら目立って変わったところってありますっけ? というか、多分、それって第一部の状態でもやれてたんじゃねーの? という疑問が浮かぶのです。
 なんつーか、「成長」ってやつを露骨に演出しようとしてダダ滑りの様相を呈しているというか、変わったところと変わってないところの線引きが完全に作者の都合によって振り回されているので、まあ、ご都合主義よね、というか。
 キャラクターが変わったように見えても、それを操る作者が変わってないから、やってることも言ってることも結局、足踏みしているというか。
 
 だから、結果的に、カカシ先生みたいな「もうすぐ後身に追い抜かれていくキャラ」は完全なマヌケ認定に陥っちゃってるし、キャラとしてほとんどブレのないガイとかアスマみたいなキャラがさりげなく新能力を使って、敵を苦しめる方が面白く感じるわけです。

 やあ、ステキな圧力ですね。エアマスターのときもそうでしたが、相対するキャラが対面になってコマをバシバシ入れ替えていくカットが矢継ぎ早に出ると柴田ヨクサル劇場の始まりです。
 異常な圧力が出現し、タイマン張ってるヤツラ以外をコマの隅に追いやっていくパワーがコマに描かれ、キャラの顔がどんどんデカクなって、空間はゆがみ、時間はズレこみ、やがてカタルシス
 多分、作者は今、ノリにノッて書いてますよね。多分、今回の主人公は最終的に四次元に行きますよ。将棋は深いなんてもんじゃない! 拡がっているんだ! とかいって。宇宙ヤバイの法理が説かれるのです。

 権ちゃんがキラ星のようにシグルい始めた影で、ジミに原作クラッシュ発生。去勢決行とな! しかし、小を殺して、大を生かす新自由主義な発想力にはもはや感服でございます。

 吉富先生! 先生! どどどどどこに行かれるのですか!? 「連人」があるから、帰れる場所があるから、こっちは存分に己の探究心を満足されるつもりですか! それは破滅に至る道です。先生! 戻ってきてください! 先生!

 恐らく、今後もチャンピオンREDのけしからん値をはねあげ続けるだろう吉富明仁の覚悟力にはもはや感服するしかありません。別の意味でのシグルイですね。