僕の考えるライトノベル 理想形


 いままで触れてきたフィクションのなかで確実に美しいものはいくつもあるのだけど、あるジャンルに限定して、「これを基準点にして他作品を評価する」という作品は案外少なく、そのうちの一つが、ロボット物カテゴリの評価分岐作品、園田健一の「砲神エグザクソン」。


 エグザクソンの美しさは、情報戦と組織対立の美しさである。
 ぬくぬくと手をとりあってきた異世界の住民が、突如牙を向いて地球を攻めてきました。
 ところがどっこい、牙をむいた連中の庶民のなかにはいいヤツもいるし、牙を抜かれた地球人にもタカなやつも共感的なやつらもいるし、歯をむき出しにした輩も多い。
 んで、それぞれが徒党を組み始めると、もうそれはそれはもうものすごい数の組織対立ができあがる。同じ旗の下にいるのに、にらみ合ってたりするしね。
 なによりも、それら全景を確実に書いていないにも関わらず、明らかに膨大な組織数の総和としての「世界」がコマのいろんなところに現出しているのがいい。もう泥沼。せいぜい地球規模の闘争なのに、感じとれるスケールのでかさにしびれる。レイヤーの色の深みがすごくて、美しい。
 だいたいのフィクションが陥りがちなパワーエリート思想(争いが高次のレイヤーでのみ起こって、その結果が下位に波及する。単純な色調)がなんで退屈か、というと、出てくる組織の数が少ない。右か左か、上か下か? はシンプルでテンポもいいんだけど「主役並みに活躍するロボット」で一発にひっくりかえせてしまうんじゃねーの? という疑問と、おおむね極限状況なのに、みんな倫理を守ってえらいねー、無能な将校は後ろから撃ち、裏切り者は正面を刺せ! 刺せよ! なんで刺さない! というもどかしさが付きまとう。
 あと、たいていロボットが大暴れする状況ってのはマジに世界の存亡にかかわるシリアスなところのはずなのに、実のところ、約束された勝利がまとわりつくので、徹底的に開き直らない限り、すぐ色あせる。
 個人的な興味として、重要なのは、そのロボットが歯車の中心となって世界を駆動したときに、レイヤーの色がどう移ろっていくのかが見たいけど、当然、そればっかでも単調になる(=主役級ロボットの活躍が英雄だろうが死神だろうが、その呼び名の通りに状況を誘導する)ので、その点、エグザクソンが秀逸だったのが情報戦を導入したこと。
 画期的だったのは、情報戦が「エグザクソン」というギラギラなレイヤーの色をも変えてしまうところ。具体的にいうと、「民間人を大量に虐殺したって、実はお前らが崇め奉っているロボットなんだぜ。バーカバーカ、お前らなに信じてんの?」」「ちげーよ、てめーら編集してんじゃねーぞ。ソースだせ。あと、ググれ」という塩梅である。
 このおかげで、「現実」というレイヤーはいくらでも深みを増す。さらにいうと、このめまぐるさは、組織数が増える限り、加速され続ける。
 エグザクソンの良さは、頭を押さえつけるものと頭をもちあげるものが始終入り乱れている点で、よく言うように情報が「違いを生む違い」という定義にあるなら、その差異を際立たせるべくあらゆる手管を用いて、あらゆるものがまんべんなくナイフでお互いの背中を刺しあっている風景のなんたる美しさ。
 似たような組織数の多さというか、競合するセッションの多様性でいうともちろん、パトレイバーなんだけど、この作品は官憲ゆえの悲哀なのか、主人公サイドが割と頭を押さえつけられっぱなしなんで文字通り抑圧されてていまいちなんだよね。
 エグザクソンで惜しかったのが、官僚組織が不在してたところかなー。日常と政治が大状況で乖離したなかで現れるべき折衝機関が垣間見えなかったこと。世界の全景はあるのに、つなぎがない。官僚組織をつくって、さー、業務レベルで対立問題にどう答えていくのかか? どう折り合いつけていくのか? あと、どうやったら失敗するのか? のデッドヒートまでやってくれたらさぞ楽しかっただろうに。
 まあ、ちょうどセカイ系の時期だったしね。あと、打ち切られたし。シェスカ←→砲介のトップレベルでの丁々発止も眺めてみたかったのにナァ。