東のエデン 1話を見たよ。

 
 これまで脚本家・伊藤ちひろには相当痛い目に遭わされており、この人が関わる作品が公開されると決まって、「見にいきたくねー(オレ:春の雪、せかちゅー。彼女:スカイ・クロラ」「見に行こうよ(彼女:春の雪、せかちゅー。オレ:スカイ・クロラ」という押し問答を毎回やってそのたび、ちょっと冷戦に陥ったという実績があります!(いったい、何の話を


 それはさておき、作中で痛い目に遭うのがどんな時かというと、とにかくダイア/モノローグのセンスのなさに尽きて、スカイ・クロラで見かけコドモが見かけオトナに抗議しにいくときに「これだからコドモは困っちゃうよねー」とか言ったオトナに向かって、主人公「大人になる必要があるんですか?」ってセリフがポンと出たときに、「なにそのアフォリズム」「オレのカンナミはそんなこと言わない」「うわー。今ここにあることに、成長と問題がある作品テーマをまんま口に出しちゃったよ」とかいろんな感想がうずまいて、思わず映画館でもじもじして下向きそうになるぐらい恥ずかしかったわけなんですよ。
 
 東のエデンもキツイところが何点かあって、特権性(タレント)のボーダーである「王子様」を相対化して価値転換するためのガジェット=情報デバイス=携帯電話を用意して、「ノブレス・オブリージュ」と「コンシェルジュ」といったキーワードから日本←→アメリカに対照させるフックとあわせることで、全体に筋道通すシチュエーションを周到に組み立てて視聴者の興味を牽引しておきながら、さて、一個の物語として見ると、個々のシーンがまったく連動していないというある意味、奇跡が起こっており、
「とりあえずヒロインの情動が危なっかしすぎる」
「『世界の中心で、コイン投げて願掛け』はいいけど、空気読め。いや、違う。積極的にあえて『空気読まない』って選択肢を選ぶって宣告しているからそれはいいんだけど、ふらふらした根無し草みたいな「キモチ」が先行しており、キモチの暴露点になるダイア/モノローグに勢いも軽妙さもないから、その空気読まない所作の一つ一つに説得力がなくて、全然共感できねえ。
 『もしかして彼が私の王子様、なんてね(てへっ』とか。そんなモノなんて安いんだよ。ノイタミナの主要視聴者層といわれている女性層への目配せのつもりなんだろうが、その照れ隠しに殺意がほの暗く沸き立つ。ジェイソン・ボーンかタクシー・ドライバーとかいいながら、引用元の画のパロディをちゃんとやってる他のスタッフに謝れ、ファック」

 羽海野チカデザインのキャラクタが持つリリックを拾い出すわけでもないし、神山健治の「背景/レイアウト/質感/空間」からさらにナラティブを引き出すわけでもないのなら、そろそろ伊藤ちひろが関わる作品は何がなんでも見ないようにしようかと考えている。