最近のこと

これで「けいおん!」のEDテーマをエンドレスに聴いている。
好みのガールズバンドらしい音を鳴らしやがって、まったく! アニソンってやつはまったく!
 

まとめ屋さんらしい、いい仕事だった。論旨の大半はもはや見飽きた感はある(それゆえやっつけ仕事感はぬぐいきれない)が、ジョーカーの「悪」を「正義」と対照させずに一体化して語ったところが良く、バットマンの「偽」善の演出をコードギアスと絡めて語るところは特に良い。
バットマンのリアリティが現代にビビットなのは分かるが、彼の貴族主義で、かつパラノイア功利主義は、昔から指摘されているところなので、100%現代にアレンジメントされているワケではない。結果的にリアルな現在に到達しているだけで、はじめからコンテンポラリーを目指したわけではない、というか。
それから、執事・アルフレッドと社長・フォックス、警部・ゴードンの役割を意図的にオミットしているところが引っかかる。
 彼らは(アメリカ的)父性を象徴しており、また作中の良心であり、傍論的にはその有効性を失っていない。イーストウッドの「グラン・トリノ」の鋭さを思え。

 素晴らしい。藤田先生の作劇スタイルが垣間見られてイイ。風呂敷の話を出たときなど、「吼えろペン」を読んでいた身からすると、もうたまらない。

  • 戦争責任のうんぬんかんぬん

 あのエントリの不満点。
 過去の、集団の振る舞いを、なぜ現在の、個人がかぶらないといけないのか、という点の説明がきわめて情緒的なことと、それに伴いテクニックが最大級シカトされているので、倫理とか応答性とか高貴な義務とかを根拠にしても、そのナラティブで肯定することはできない。端から見るとナイーブなのは山本弘とどっこいどっこい。


 最近のブクマやエントリの傾向を見る限り、id:kaienさんやid:izuminoさん辺りはおそらく現代の物語におけるネクストを「契約」から進めていくと、そのへんの「情緒」がフックとして機能してくると踏んでいるんじゃないかと推測している。
 そこに着眼しているのなら、その考えはよく分かる。
 「自立」と「自由」について、置き所の高い心性は今後かなり重要な意味を持つはずだと僕もなんとなく思うからだ。(なんでかについては、思いついたら書こう


 ただ、意味をもつテクニック=段取り、ルール、ロジックがシカトされているのがとても気になる。
 あの書き口だと、無限の返報の回避のために、正義による事態の切断が実施されるということになるのだけど、つまりそれは戦後の和平「契約」では為されないということになる。事務手続きじゃ戦争はおわんねーんだよ、憎しみは続いているんだと。
 まあ、わかんなくもないが、じゃあ、「契約」でなされないということは、なにが代替となるのか? 
 

 と、ここいらで、国家間の話からいきなり個人レベルまで、話のスケールがすっ飛ばされているのでよく分からなくなったので勝手に行間読んでみた。
 正義とやらによって、当事者たちを含む周辺にベリーグッドな心証を得ることだということだと解釈。
 語られる正義の根幹にあるのは、エントリ中にある「呼びかけに応じる責任」というやつであり、「事至れば落ちるべく飾られた王の首」であり、高貴な献身のことなのだろう。
 そのお上品さ、優等生っぷりには、正直クソ喰らえってかんじなのだけど、同時にわかんなくもない心理ではある。
 ま、実現困難性の高さを考えると浮世離れしているので、とりあえず、その辺のトライアンドエラーを実施している「ガンダムUC」を読んで、願望充足して終わり。バナージはいいやつだ。