「涼宮ハルヒの消失」予告編の眺め方。

 12/18に公開された「涼宮ハルヒの消失」の予告編の出来が一個の物語としてあまりにも完成度が高くて、興奮しまくったので、時間毎にどのように眺めたか解説をTwitterで走り書きとしたので、こっちでまとめる。
 発端はここら辺から→http://twitter.com/y2k000/status/6820821795
 予告編はこっちから→http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/trailer.html
 ちなみに、原作は読んでいない。



0:03/キョンがマフラーを巻くシーンから始まる。そそくさとマフラーを巻いて帰り支度をする彼に対して、まったく無関係に教室内で駄弁ったりするクラスメイトたち。放課後直後の弛緩した空気のなか、ジャケットを身につけてマフラーを手にして一人、外へと赴こうとするキョン。その「表情」は窺い知れないが、外の景色にあわせるように灰色がかった画面の色調と気持ち丸めたように見える背中が彼の孤独を暗示しており、マフラーに首がかかった瞬間、テロップが入り転調。それからやっとマフラーが巻かれる。


0:10/首に巻いたマフラーを身につけて、一人横断歩道を渡ろうとするキョン。画面の両端を渡る橋として機能する横断歩道を歩いた中間点で、
0:13/彼の孤独を補うように友人達と連れ立って歩くシーンが現れる。ひょうげた友人に対して、寒そうに首をうずめて、ポケットに手を突っ込んだキョン。ここが彼のいる「日常」である。


0:14/しかし、この次には早速、「不在」の席が画面に現れる。この「不在」は彼のもつ「日常」が欠如していることを意味している。キョンの振り返りは「過去/経験」が失われていることを暗示している。同時に、TVシリーズを知るものならば、これが涼宮ハルヒという作品を構成するのに不可欠な要素にして前提=「もうひとつの日常」が失われていることだと気づく。


0:19/キョンの振り返りが「過去/経験の消失」を匂わせており、これを受ける「私はあなたに会ったことがある」というテロップが流れる。これは本来の「過去/経験」とは異なる「過去/経験」へと導くミステリ的なミスリードの構造だろう。
0:20/その証拠が現れる。TVシリーズを知っていることが前提となるが、あまりにも異なる彼女の「表情」。異質さはなおも続き、
0:23/みくるの手を両手でひっしと握るキョンの図。彼女の「表情」もまた、異質なものだ。この、拒絶の「顔」の横では、彼女の友人である鶴屋がいる。しかし、彼女の「表情」はカメラから見切れていて、分からないのだ。キョンのフォーカスからは、差し迫っている事態において、鶴屋は「外部」なのである。であるから、
0:25/それまでみくるの手を握っていたキョンの手を外し、彼をいなす彼女の表情もまたカメラの位置により、はっきりとは分からない。
 このくだりは、シナリオ上、しばしば序盤の終わり辺りで欠かすことができないものとして要請されるものに相当する。すなわち、主人公から「日常」から違和感に気づいて、異界へと向かうのだが、そこで一度、拒否される、障害に阻まれるといったくだりだ。


0:26/これまで灰色がかった思い色調が続いたフィルムに、はっとするような赤のコートを身につける少女が現れる。なまめかしく近づいてくる少女には、しかし「表情」がない。続くカットでも「顔」が与えられていないことが作為的に示されている。
 これは、直近のくだりで、カメラの位置的に、「自然と見切れていた、はっきりとしなかった」ともいえる鶴屋との大きな違いである。TVシリーズを知るものならば、この朝倉という人物が回帰したことを理解するだろうし、本来いるべきはずのハルヒの「不在」と本来いないはずの彼女の「存在」は、対比的である。
 このことは、本来のハルヒの席(=TVシリーズでおなじみのキョンの席の後ろ)が誰か男子生徒に埋められていて、朝倉がそこにかぶさるように動くことで強化される。ここで彼女の簒奪者としての姿が密かに強調されているのだ。
 また、この朝倉の不気味さ、アンビバレンツさは、灰色の中の赤、徹底して「外部」を意味しながら「不在」を埋めうる存在として現れることに由来する。TVシリーズを知っていれば、無論、彼女は本来の不在の主ではないことが分かっているため、彼女は敵対存在であるだろうと類推できるし、窓に対して背中を押しつけるようにしているキョンの姿が、彼女の属性を際だたせている。


0:29/電車が走ることを背景にして、キョンもまた走る。寒さから身を守るため、首をうずめたマフラーは外されており、ジャケットの前も開かれている。このアクションの背景にある電車とは「レール」の上を走るものである。キョンが走るというアクションと、「レール」というモチーフは、しばらく後のシーンへと引き継がれ、ほぼ同時に展開される。


0:31/顔をあからめた長門とぼへっとした顔のキョン。背景のモミの木が位置的に近しいところにあることをはっきりと示しているのに関わらず、お互い向き合っているのに関わらず、彼らの顔はそれぞれ別のカットとして扱われている。長門はうつむいており、二人の視線は合わない。二人は事実上、断絶しているように思える。


0:33/再びマフラーを身につけたキョン。つらそうな顔は彼の挫折を意味しているのだろう。
0:34/だが、その次のカットでは引き締まった何事かを決意したかのような表情をしている。挫折から回復して、共に立つのは未来のみくるである。彼らが同じカットに収まっていて、かつ、同じ方向を向いていることが二人は協力関係にあることを示している。未来のみくるはうつむいているが、これは0:31で長門のうつむいて視線があわないことの対照であろう。


0:35/座って明らかに舞台を解説する役周りの小泉。彼の描いた図は、先の「レール」のモチーフを思わせる、移行した平行線である。小泉の役割と、電車を背景にしたアクションと、これに続くキョンのアクションから、この「ズレた線」がこの物語の主題であることがはっきり分かる。
0:36/かくして、主題が明らかになった直後、銃を構えるキョン。テーマがはっきりした以上、闘争になるのは必然的である。
0:37/そして、闘争の結果、キョンは軽くない損傷を受ける。その視線が受けるのは、
0:38/「顔」に血を浴びて動じる長門である。ちなみにこれは、TVシリーズにおいて、多大なダメージを受けて血まみれになっても動じない長門の、対照だろう。位置関係で考えても、TVシリーズでは、闘争する=前面に立つのが長門、後ろにいるのがキョンだったのに対して、ここでは、キョンが前にいて、後ろに長門が控えていたのだろうことが対照の強調となっている。

0:39/窓から吹っ飛ばされるキョン。窓から吹っ飛ばされるには当然、窓際にいなければならない。窓際のくだりは、朝倉の登場シーンにあるので、そこを受けたくだりだろう。また、彼の周りで飛び散るのはクリスマス意匠のプレゼントである。先の長門のくだりでモミの木があったことを受けて、劇中の時節がクリスマスであることがここではっきり分かる。

0:41/「不在」のはずの彼女がそこにいる。だが、彼女の「顔」が分からない。もっとも、TVシリーズを知っていれば、彼女の髪型が物語の決着を示唆してはいるのだが。
0:42/決着を意味する彼女の髪型の後で、差し込まれる「READY?」の文字。二転三転して結局、ここでは物語は決着しないわけである。そして、タイトルが高らかに掲げられる。ここはまるで、「涼宮ハルヒシリーズ」としばしば比較して語られる「ビューティフルドリーマー」を思わせる。

 以上で、予告編という機能を十全に果たしつつ、この物語は閉じるわけである。