CRのある風景 3と4

承前:http://d.hatena.ne.jp/y2k000/20091025#p1

 例えば、世界最先鋭が日本の田舎に集まることを一昔前は考えられただろうか?
 物流コストがかさむため主たる産業がないため人口が少ないため、様々なインフラのならし負担が大きく、総額も小さいため、抜本的な改革が進まないそんな田舎に。
 「どうしてだ」と未だに問いかける者も多い。謎解きのような書籍があちこちで発行されている。恐らく日本でもっとも大きく、世界を変えたIT事業だからだろう。去年のビジネス書の国内ベストセラーのトップ100のうち、「Mater社」を扱ったものは15あり、「高田正二」を扱ったものは20ある。この手の、いわば「価値」のおこぼれのような産業は、そこここにある。
 私もその産業の一員で、だから今、彼に会っている。オピニオン誌のインタビュアーとして面会した私は執務室に向かった。副業商業施設「OoE」の第一ビル4Fのオフィスフロアの最奥だ。ロビーチェアに座って待たされる間、ちょうど向かいの窓からは山に建てられた建築物ならではの情景を楽しめるようになっていた。窓の近くに立って見える景色は、ちょうど夕暮れで、西日を浴びる海を真っ正面に捉えていた。きらきらと浮かぶ海原に影になった島々がぽつぽつと浮かび、素晴らしい眺望だ。
 あの中には、Mater社が投資している養殖業の海洋畑もあるだろう。山奥に展開される、湧水を使った小型魚の育成と、この地方で昔から取り組まれてきたマグロの養殖を中核に据えた複数のブランドの発展にもMater社は寄与している。
 そこで、受付の女性がやってきて、展望グラスを持ってきた。なんとも人好きのする笑顔を携えた彼女が、「よろしければ後ろの景色もごらんください」と案内してくれたので、好意に甘えることにした。
 転じて川が見える。河口から続くロードとテラスは、近年、都市開発として再注目されているビオトープを利用して作られたエクステリアだ。ロードやテラスなどには、木材が多く使われているのだそうだ。
 山が多いこの地方ならではの心得で、代謝の衰えた生後50-60年の老木を伐採して、代わりに若木を殖財することでCO2削減に寄与しているのだという。植えられる木も最近は工夫がされているそうだ。UCUをはじめ、植物の遺伝子研究機関などに積極的な出資をすることで水保ちの良い根を張りながら、木材としても活用できるようになったのだということだ。
 そのようなことを聞くと、Mater社の理念が思い出される。様々な場面でしばしば引用されるが、Mater社は自分たちが造り出したものの社会的な意義の達成をまず考えるという。それというのもコンセプトを作り出したものには責任があるからだと考えているからだ。新しいものが作られたとき、それはどんな場面を想定されているのか、どういう痛みや楽しみがあり、どんなところに馴染み、いつまで根ざすのか。
 その主たる実践がここ、Mater社が本社を置くネオパークである田宮市であり、今や提携都市群のフラッグラインとして様々な試みを実施しているのだった。(無論、市場を寡占する企業による実験場、おもちゃと化しているという批判もあるが)
 これを巨人の論理であると解くものもいる。それまでのデマケーションを破壊し、新しいデマケーションを造り出す行為を指して、我々は巨人が動き回る所を見上げている最中なのかもしれない、と呟いた経済学者もいることは現代における一個の象徴的な出来事ではないだろうか。
 望遠グラスの倍率をあげると、釣り人とコーヒーを楽しむ老人、ロードでトレーニングする何かのスポーツ選手が一つのフレームに収まった。その光景があまりに自然に溶け込んでいて、私自身もその場にいるような気分になった瞬間、
「エクサテリアル、OFF」
 その言葉ですべてが終わりを告げた。グラス越しの景色がすべて消失して、目の前が単一な色調の壁となり、現実を失ったように動転した私はとっさにグラスから顔を外し、
「どうでしょう? 実に自然でしたでしょう?」
 溶けた現実の中で、振り返ると、そこには巨人がいたのだ。
 比喩ではない。中肉中背だが、実際の身体より何倍も大きく見える錯覚を覚えた。今し方まで除いていた望遠グラスの影響かも知れない。CRがしばしば起こす現実との乖離による脳の混乱かも。
「すべてCR上の展開したものです」
 高田正二がそう言ったからにはウソではあるまい、と思った。

 4

「3D映画がありますでしょう。あれが好きでね。似たようなことができないかって考えていたんです
 開口一番、彼はそう言った。あの後、執務室に招かれて名刺を差し出した彼は、紙に印刷されたMTコードにレンズを合わせて、セミカラーの単線を組み合わせて造られたシンボルに封入された私の来歴を眺めると、一瞬、考える素振りを見せてから「見せたいものがある」といった。
 これは来たな、と私は思わず笑い出しそうになってしまった。噂が本当だったことを実感できた喜びでもある。高田正二はしばしばゲストにその時、自分が行っている新しい試みを見せたがるのだ。「高田のサプライズ」と言われるものへの期待を胸にして、飛び出すように部屋を出た彼についていくと、そこは「OoE」第三ビルのB1Fだった。開店前のクラブがあり、入り口で清掃していた店員に声をかける。そこで施設内のIDを丁寧に提示する姿が印象に残った。知られている通り、Mater社は「OoE」のテナントをほぼすべて統括している。厳密にいえば、集客広告の役割を担う一部のブランド店舗を除いた、直営店や独立店の育成に積極的に手を貸しており、コンサルや顧問も兼ねているということだが。
 ちなみに、その事業を営んでいるのは、Mater社の別会社にあたる「TAU社」で、TAU社が手がけて最も有名なのは、やはり第一ビルのフードコートだろうか。「OoE」ではフードコート全体で一つの空間、ホールスタッフ、機器を共有する。
 無論、個性の強い内装を重視した個別店舗ごとのパーティションスペースがあるが、これは例えば、居酒屋などは公共上の問題からも切り分けられるべきだという都合もある。基本的に集客強度が高く、メインとなるのは屋内外のフードコートだ。フードコートでは、施設内の全店舗の注文が可能となっている。例えば、従来ならば、カレーとラーメンを食べたい客は、カレーかラーメンかを選ぶか、カレーとラーメンを扱っている店に行くしかなかったが、ここではそうではない。
 カレー専門店の料理もラーメン専門店の料理も同時に注文することができて、同じ場所で食べることができるのだ。
 これは、CRが空間表示するメニュープログラムに支えられており、「OoE」が内的に展開するCRドメイン上にある「フードコート」ページは、ユーザ登録さえしていれば、自在に編集できる。コンテンツ内にはレビューサイトや個人のお気に入りメニューの登録もでき、かつて注文したものからのサジェスト、ジャンル別の検索、「辛いもの」「甘い物」など適当な単語を入れて探すフィーリング検索を搭載しており、店舗によっては、実際の調理画面を配信していたりする。
 これにより、ホールスタッフは注文取りに広いスペースをいちいち歩き回る必要はなくなり、過度のコミュニケーションサービスやクレーム処理の円滑化などをメリットがあるとして高く評価されて、これを知財登録したTAU社は、このバリアントモデル*1をセルフ化を推し進めたい世界中のフードコートなどにC&Pコンテンツ*2として売り出していたりする。ただ、現在の「OoE」はサービスの質を高めており、無人ではなく、それぞれサービスマンを用意している。
 また、独立店舗は自前の責任で雇う常駐のスタッフとは別に、フードコートからスタッフを借り入れすることができるようになっている。共通のモジュールを利用した注文システムと機器はそのためのもので、ホールスタッフはどの店舗に行っても、CRのタブ切り替えと併用することで、違う店舗の注文処理も自在に行うことができる。これにより、一店舗あたりの繁忙時と閑散時での人件費を落差をならすことができ、接客業という個別的ながらその実、共通的な業務をモジュール化することでコスト削減を可能としたのだ。(このフォローのためにテナント側には契約書レベルでの縛りが色々あるらしいが、金はないがチャンスが欲しい独立店としては非常に有意義であり、テナントの資金繰り面での脱落が低いと言われている)
 ここまでは一般のバリアントモデルでも適用されているところだ。「OoE」で提供されているサービスはさらに優れており、例えば、ラーメンとカレーに使われている食材についてのアレルギーについて問い合わせができ、また商品の摂取カロリーを調べることもできる。また地産地消を推進し、ファーマーズマートを用意するなど地元の農家と強く結びつく「OoE」では食品の追跡調査も可能となっている。CRドメインのユーザページにそれぞれの情報を登録しておけば、例えば、とある客が肉嫌いだとして、次回から「にんにくラーメン」をクリックすれば、特に指定がない限り、「にんにくラーメン チャーシュ抜き」が言わずとも出てくるわけである。
 さらにこうしたありきたりのプログラム応答のさらなる上位として、有料会員やバリュー企業と呼ばれる田宮市在住でMater社と協業関係にあるすべての会社の関係者やUCU田宮分校の学生ともなれば、常駐する栄養士やカウンセラーによるカロリーコーチングやストレスサポートも格安で受けられるし、さらに3Fにあるフィットネス施設とも連動して、専用アプリがあれば、消費カロリーと摂取カロリーを比較したり、中長期のダイエットプログラムを組むことできる。
 近隣病院もほとんどがMater社と提携しており、本人の承諾があれば、行動や体重、血圧などをレコーディングして、個々の診察材料として使うこともできる。こうしたハイエンドの複合サービスを提供するということは田宮市という共同体を一個の企業がおもちゃにしてもあまりある功績だといえる気がする。
 ちなみにの話が長くなった。 
 さて、コンクリの打ちっ放しがむき出しで寒々とした開店前のクラブの中で、適当なテーブル席に腰掛けた私たちは、気を利かせた店員が出してくれたコーヒーをすすっていた。
「3D映画ですか」
「テレビでも見られますけどね。やっぱり3Dは映画館で見るのが好きだ」
「そういえば、あなたは昔の映画の3Dリファインも手がけてらっしゃいますね」
 Mater社はAV事業として、古い映画を3D化して「OoE」系列のシネコンに配信していたりする。傑作だが、あまり国内では興行的に振るわなかった作品を好んでリファインし、一斉オールナイト上映するなど、多分、目の前の男自身の趣味からくるユニークな企画は、好事家から絶賛と批判の双方の声を受けている。私自身は金持ちはそういうバカをやってナンボだろうと思うのでとても肯定的だ。パトロン自身が表現者であるということも高田正二という人物をユニークに仕立てていると思うのだ。
 実際、嬉しそうに身を乗り出した彼は、
「そう。過去の名作を文字通り、蘇らせる。当時、見た人がこれまで見たことがなかった作品の喜びをもう一度、与える」
 とても活き活きとそんな話を言い始めた。せっかくの高説だから、このまま拝聴してもよかったが、アポイントメントの時間は限られている。彼には時間があるが、私には時間がない。そんなわけで、早々と遮らせてもらい、
「それが先ほどのいたずらに関わりがある?」
「ああ、先ほどは失礼しました」と若き巨人が小さく頭を下げたので、慌てて首を振る。「いえ、そんな謝られる程では。確かにびっくりしましたけど」
「貴方があんなに驚くとは思わなかったもので、しかし、効果はよく分かりました」
「効果?」
「CRの新プロジェクトです。アイール、フォロバレーに続く」
 自らざっくばらんに言ったので耳を疑った。これはスクープだ。
「えっと、その、記事にしていいんですか?」
「ええ、構いません」
 ――しかし、その前に、といって、手を振った。壮年の男と若い女性が現れた。
「紹介しましょう。今、その第一弾として実験を手伝っていただいている方々です。コンポーザーの大場さん、ビジュアルジョッキーの若宮さん、こちら雑誌ライターの志村さんです」
 お互いに挨拶すると、高田氏は「ではよろしくお願いしますね」と言い、二人の男女はまた下がった、
「クラブにVJは分かりますが、コンポーザーとは?」
「CR上で反映されるデータを生成するプロですよ。まだ実験段階でね。人の手を介して行わないと難しいんです」
「申し訳ないが、全然分からない」
 ――見れば分かります。
 その瞬間、照明が落ちた。
「先ほどの風景ですが、CR上のプログラムですが現実の光景でもあります。施設の屋外に取り付けたカメラで取得したロケーションデータを補正したもので、その時、特定のビューワが置かれた環境、情況から類推して、もっとも心理的に安心を与える画面を提示するのです」
 そして、何もないはずの空間から音楽が流れ出し、光が漏れ出して、私の目の前に現れ、
 多分、私はその時、神を見たのかもしれない。すべてが停止し、私の生理一切が停止し、時間も空間も、流れもなくなり、ただ私だけがいるという錯覚が転倒し、深い酩酊とともに
「あなたについて存在するCR上にあるパブリックデータと名刺に含まれる来歴を解析させました。そして、あなた自身を想起させるイメージが今、目にしている風景です」
 現れたのは、光だが、それは私自身の姿であり、聞こえる音楽は私自身の声であり、私自身が神となったような全能のカタルシスがあり、私は私の中に消失して、
「プロジェクト:イマーゴリ、その要となるものです」
 その声とともに意識を失うのだ。

*1:コンセプト派生商品の俗称、コンテンツをそのまま売るのではなくクライアントの情況に対してコンセプトをゆがめずに逐次、修正変更しているため、こう呼ばれる。かつてデリバティブとも呼ばれていたが金融商品のそれと混同することが甚だしく、近年ではサービス商品について呼ばれることも多い

*2:Concierge&Planningコンテンツの略、各種コンサルや専門家、プランナーが集まるTAU社は提案したコンセプトを企画し、ワンストップで顧客とともに参画していく様態をこう呼んでいる