色々と読んだよ。

ごく最近に出た「ゼロ年代SF傑作選」に比べて、お上品。大人。ドレスコードを弁えている。という風情。
後、悪口の叩き方が非常に巧妙でいやらしいことも特徴的。山本弘ダン・ブラウンDISとか。

マイフェイバリットは飛浩隆の「自生の夢」、ではなく田中啓文の「ガラスの地球を救え!」
そんな落とし方したからって、いい話だって許してもらえると思うなよ! 
「自生の夢」は平山夢明の「独白するユニバーサル横メルカトル」に収録された「卵男」がモチーフかな?と思い、後はいつものグロテスクさが手癖のように感じられたひっかかりが最後までとれなかったのが我が事ながら惜しい。
飛浩隆のこの手の偽悪というのは、すでに時代性でしかなくなりつつあるのが残念ではある。
廃園の天使の続きがはやく読みたいですなー。

「NOVA」に比べて、だいぶ若い作風。「NOVA」が「作家」というレーベルで語る枠だとすれば、「ゼロ年代SF傑作選」に収録されているのは、いわば「作品」や「キャラ」による商業性だ。
マルドゥック・スクランブル"104"」「エキストラ・ラウンド」「デイドリーム、鳥のように」のような番外編商売がSFに食い込んでいるのは興味深い。
秋山瑞人の「おれはミサイル」がようやく読むことができたことが喜ばしい。

大石まさるボヘミアンというのは、例えば、ハッパやヤクをやって得る類のものではない。
草っぱらにござを敷いて、夜明け前。
朝日を拝んで、流れる雲を戯画ともてあそび、昼にランチボックスを開けて、風と戯れ、ポットに詰めて、段々ぬるくなってくる茶をすすりながら、夕暮れを見送り、星を降るのに喝采し、月が舞う中、目を瞑る。
そういうボヘミアンで、そういう日々の過ごし方だ。
光が横溢するコマのなかで、充実しているキャラクターのリラックスした振る舞いは、寄る辺なきシャバ世界において、潤いを与えてくれるんであり、それだけで十分価値があるんである。

気が向いたら買おうと決めていたので、気が向いたから買った。
今回は「シャア・セイラ編」
ガンダムオリジンはとにかく過去編がいい。ニュータイプがどーたらこーたらとかじゃないんだよね。出てくるキャラの関係性の物語であり、その辺のボリューミーな部分のおおらかさが心地よい。
そのうち、既刊は全部そろえる予定。
どーでもいいんですが、あんまり巻末マンガが面白くないですね。久米田康治に「かってに改蔵」。いや、面白いんだけど、ものすごいミスマッチ。
確か、「げんしけん」やってた時の木尾士目がゲストだったときも、むっちゃくちゃ評判悪かったような記憶があるんですが、まあ、分からなくもない心理。
愛蔵版を持つっていうことは、耐久度のあるコンテンツに金を出すってことなわけですよ。ましてやガンダムだしねー。
ところが、久米田にしても木尾にしても、「今、ここ」を積極的に取り上げてきたマンガ家なので、まあ、その辺、うるさ型のオールドファンからすりゃー、なんだこの野郎。となる。
「今、ここ」というのは刺激的だが、ストレスなのだ。
高い金とってんだし、いっそ小冊子にしてくれりゃーいいのにねー。

読み終えて、題名の「アステロイド・マイナーズ」というのは含蓄があるな、と思った。
少年が出てくる。小惑星に住んでいる彼は、とにかく余剰の産物だ。本来、一個の極限環境下である小惑星に子供がいる時点で、彼自身が余剰であり、それゆえ、ムダを為す。自分が立っている生活基盤がいかに成り立っているか知ったとき、少年は思考する。
その悩みを持つ者は少ないのだ。「アステロイド・マイナーズ」というのは、いまだ宇宙にいる人類がそもそも少数であることを示すのと同時に、そこでたんに住むだけではなく、「生きる」人間も少ないのだという二重の意味を有しているのではないかと思った。