ちゅーか、キャラの年齢および寿命について、という話
久しぶりに漫画喫茶に行って、読みたいんだけど買うほどでもないか、という作品を目に通す。
そこで一緒に行った友人と喋っていて、「キャラの年齢と寿命」という話をする。
そこで浮かんだアイディアをぼんやりと書いてみる。
- はじめに
漫画やアニメーションといった作品(場合によっては、戯曲、小説、演劇なども)とは多くの場合、キャラクタに直結した物語構造である。それはすなわち、ある一つの新奇な物語を例示する最も適切なものとして、同じく新奇なキャラが必要となるからである。
しかしながら、新奇な物語と新奇なキャラというものは、コンテンツ不足が嘆かれて久しい昨今、提示しがたくなっている。
そのため、カテゴライズやクラス化、レーベル化を積極的に取り入れたエコの記号論に見られるが如き、「記号キャラとその配列」というものが重視されるのではないか。また、その中で、無機質に作られたキャラクタ=属性を消費者が支持するにはどのような背景と過程が必要となり、また、その支持が無効となるにはどのような経緯を辿るのだろうか。
- エヴァンゲリオンという背景
エヴァンゲリオンの製作者、特に監督である庵野秀明は、自身における最大のヒット作となったこの作品を指して、「既存の作品を組み合わせたもの」と述べる。
彼は構造主義と記号論という言葉でこれを修飾し(修飾こそが科学主義に反する言葉であるのにも関わらず)一種、衒学的な作品を構築した。
特にキャラ萌えという修飾は件の作品の商業的アドバンテージを確固たるものとし、
(中略)
- 記号と修辞
(中略)
- 夢オチとメタ何某
(中略)
- まとめ
(中略)
ゆえに、今後、物語論、作劇論としてメタ的見地を取り入れた作品が重要視されるだろう。
十分じゃまとまらなかったので、そのうち合間を縫ってちょいちょい中略部分は埋める予定。(1月7日現在)
当然の如く、予定は未定。