「マイナス」「はるか17」「NANASE」「フローズン」などなぜか今さら山崎さやかを再読。

  • あらまし

「超ダリィっす。オレ死ぬかもしんないっす。マジねむいっす。禁煙から二週間経ったけど、いまだにニコチン抜けてない気分っす。気管支炎とか死ぬかと思ったっす」
「とりあえずダウナー系の漫画読むといいよ。ヤサシイワタシとか。なんかしないとこれはヤバイって危機感を感じられるから」

  • 感想

 とりあえず「マイナス」から消化しました。この漫画は昔、人肉食いシーンがあったせいで回収騒ぎになったという曰くがある作品で、かつてはネット上でその話を見れたんですが、どうもそのHPが消えてるみたいですね。紹介したかったのに残念。
 この作品は「誰にも嫌われたくない」女性というのが主人公で、「誰にも嫌われないようにはどうしたらいいの?」と悩んで失敗するシチュエーションコメディから始まるんですが、そのうち段々と主人公(と作者)のタガが外れてきて、ついに規制表現の領域にまで踏み込んでいってしまいます。
 この展開がシリアスだし主人公の精神構造が基本的にサイコだからぞっとする反面、すごい空回りっぷりがなんだか笑えてしまいます。確かにエピソードとして湿っぽいんだけど、外野から見てる分にはおもしろいというか。
 そういえば、山崎さやかの作品はすべて「他人から見た自分」というのが強烈なテーマになっているんですが、その中でもこの作品と「はるか17」は精神的に双子の関係にあるんだろうなあと読み直してて思いました。
 これは実際に読んでもらえれば分かってもらえるんじゃないかなーと感じるんですが、「はるか17」の主人公は「マイナス」のそれと比べて正反対の位置にあるんですね。主人公はるかはおっちょこちょいで間が抜けてて可愛らしくて健気。
 多分、見ている限り、清純派という売り方で、生理現象が(最低限、劇中の彼女のファンにとって)想定されないキャラクターで、よからぬと思う人物が主人公の障害となって悪意を巻き散らかしても絶対に最後は勝利する。どうしてかっていうと、好意に値するキャラだからで、ここまで徹底して虚構を貫いている意図がかえって分からなくなるぐらいです。恐らくは、「マイナス」から「マザー・ルーシー」にかけて主人公が、「周囲から見た自分」→「周囲なんて知らない自分」となって、次に「フローズン」の中で、帰国子女でズケズケものを言ってしまうせいでかえって孤立化してしまう主人公「周囲と調和していこうとする自分」に変わり、筒井康隆原作の「NANASE」の中で火田七瀬という精神感応者、「周囲となんとか上手くやっていこうとするし、なんとかやっていける自分」を描いたことで、ようやく「誰からも嫌われない自分」を書く気になったんじゃないかなあと思いました。
 個人的には「NANASE」が非常に美しい漫画化をしているし、キャラクタがいい感じに作り物じみてて好きなんですが、「マイナス」を読んだうえでの「はるか17」というのは格別のものがあります。
 この辺の物語展開の変遷というか、キャラクタのエグみというのは、例えば、ひぐちアサの「おおきく振りかぶって」における主人公のコミュニケーション能力の低さとかそれに根ざす、あるいはその原因としてのトラウマエピソードだとか、同じ作者の「ヤサシイワタシ」におけるヒロインの文系サークルクラッシャー女っぷりとか日本橋ヨヲコの作品に出てくる病んだ感じの男にも共通していて、なんだか禍々しいオーラが出ていてすごく目を引きます。
 こういう露骨に作者の鬱屈した情念が漂ってくる作品というのはもちろん嫌いなひとも多いんでしょうけども、読んでて迫ってくるものがあって楽しいなあ、と思いました。