シャングリ・ラ(著者:池上永一)を読む。


 バカは無敵。という物語。読みながら「ああ、間違いなくこれはファンタジーノベル大賞出身者だなあ」と思いました。以前も言いましたが、新潮社はどうしようもない闇を抱えた作家に作品を書かせて、日本の亡国化にすることを企んでる思想統一計画を練っているので、徐々にそれが浸透してきたんだなあと感慨深いものがあります。

 キャラ造詣は奇跡のような旨味がありました。

「国子はなんという環境に育っているのだ。地上で、ゲリラで、親はオカマか」
「本人は気に入っているみたいですよ。下ネタが趣味のようです。私たちでも分からないハイブローな下ネタを昼間っから喋ってます」

 上の会話があらすじの全てを要約しているので、引用。
 
 今まで読んできた中では、古川日出男池上永一はよく似た匂いを感じるんですよね。
 多分、読者層もけっこーかぶってるんじゃないかしら。勢いというブレーキなしのドライブなところとかというか。ファンタジーを鬼のように読ませる雰囲気が秀逸なところです。ノンストップな「一度読んだら読まざるをえない」アウラの結晶という感じ。
 基本的なモチーフは「風の谷のナウシカ」ですね。ただナウシカナウシカたる要因を語ることで、ストーリィ全体をメタ視してます。ゲームテーブルを用意した老人達の会話が終盤、挟まれていることで、「なぜナウシカナウシカなのか?」を上部から見下ろすかたちになっているのは興味深い。個人的実存による事態へのコミットの設定を外野に委ねる手法は、現代においては不可欠なので、キャラの心象に対する現象学的棚上げをナウシカでもやらざるをえなくなったのか、と思いました。

 もっともそれだけにとまらずに、これを「炭素経済」というデジタルに依存した(実体を伴わなくなってしまった)ビジネスの虚飾性を射抜くところと合わせるとことで、作者と読者とが意図した共犯者のように物語全体を俯瞰するところなんかがファンタジーのパワフルの所以を作り上げているのはさすが。
 

 池上永一はキャラが異常に濃い作家で、どのキャラもラテン系のノリで常に駆け回っていなけりゃ気がすまないところなんかが面白いですね。特に女性が絶対に立ち止まらない。かえって、男性は日本的なんですよね。陰鬱で考え込んだり置いてけぼりにされる。主人公と周りの男の関係はアマテラスとスサノオの関係だったのかな。
 この辺りは作者が沖縄人だと自覚して異邦人の目から日本を見ていることに由来するのかもしれません。原始的な精霊信仰がバックボーンにあって、その加護を受けるのは女性(=巫女)という価値観があるからでしょう。
 だから、女性崇拝的で、戦うヒロインの物語。性的な匂いを振りまきながら、男をブン回す女性。そういうのは好きなので、楽しかったです。