場の理論について。

 間違えても第二量子化に基づく場の量子論のことでも、ゲシュタルト心理学における人間の認知的効率化処理のことでもないっ! グーグルで検索してもムダだ。それは重度の虚言癖をわずらった人間に見られる一定の行動パターンだからだ! 
 「場の理論」は以下の原則によって導かれる。

  1. 場の理論」とは、個人の、「その場」における言説を弄する際の原理である。
  2. 場の理論」とは、「その場」においてのみ有効である。
  3. 場の理論」は四つの影響によって統一されている。すなわち、「強い影響」「弱い影響」「相性の影響」「重力の影響」である。
    1. 「強い影響」は個人の純粋な好みに依存する。心酔している作家や作品からの引用や、イノセントパロディをついついやってしまうなどは、これに由来する現象である。
    2. 「弱い影響」は周囲から受ける個人の心理的圧迫に依存する。ローカルルールや「空気嫁」というふいんきなぜか変換できない)から、「日本代表」から「アイドル」「ウソをウソと〜〜」まで無難に口にするのは、これに由来する。センデッドデータに対する緩やかな態度であるので、その影響は他のどれよりも弱い。
    3. 「相性の影響」は個人の意識的好悪に依存する。特定の現象に対する反応であり、好意的であるならば熱心な感想で応え、批判的であるならば皮肉で応じるのは、これに由来する。「強い影響」に次いで強い影響である。
    4. 「重力の影響」は個人の規範に依存する。どうしようもない魂の問題であり、魂が惹かれる相手を無意識に追い求める行為はこれに由来する。アンテナやRSSに登録したり、その作家の作品を通読する行為であるが、必ずしも後の行動に転化するものではなく、「弱い影響」よりは強いに留まる。


 以上のように、「場の理論」は快楽原則と近似の法則で求められるが、その性質は非常に流動的である。
 従って、後日、言説を翻したときは、「場の理論」によって導かれたそれまでの言説は無効化される。*1
 具体的な例示は、「ああ、あったね、そんなこと(笑)」がもっともよく知られているだろう。また、ある時突然に、ファンダム活動に飽きてしまうのも「場の理論」の応用である。
 

 このため、「その場」限りの理屈であるので、「場の理論」が行使された場合、後に「こんなことありましたよ」と言っても無意味である。
 「場の理論」は一瞬の発想とその発露にすぎない。
 このため、「場の理論」はしばしば、BLOGや井戸端会議など日常ベースの会話や、創作ベースの「しまった! 思いついたぞ!」という瞬発的な奇想のなかで見受けられる。
 賢明なる諸兄は「場の理論」によって導かれた言説を真に受けてはいけない。この段、くれぐれも留意されたい。



「つまり、今、提唱した理論も信じてはいけないと?」
「当然です。すべては『場の理論』に基づいているのです」 
 

*1:しかし、その覆しすら「場の理論」によってコントロールされているので注意が必要である