「グラン・ヴァカンス 廃園の天使(1)」(著:飛浩隆)を読む。

 知り合いから薦められたので読みました。
 その際の売り文句が、
「イヤな汗を掻きたいなら超オススメ」「己の欲望に向き合う作業が好きなら超オススメ」「ペリペリと天国の皮をはぎとって、地獄が出来ていく様子を眺めたいなら、超オススメ」
 などというあまりにもあまりなものだったので、どんなイヤSFなんだよ、と恐る恐るページをめくりました。
 
 ああ……分かる。分かるよ。これはヤバイわ。この小説を例えて言うなら、
「ものすごく清楚な美女なんだけど、どうしても動物をパーツごとに解体してコレクション棚に飾っていないと生きられないサガを抱えているキチガイさん」という感じ。
 この意味するところが分かってもらえるでしょうか。つまり、ものすごく美しいんですよ。全てが美しい。描く文体が、描かれる情景が、なにもかも。
 でも、その美は狂っています。ネジが二、三本どこかに飛んでます。狂っているからこその美なんです。
 つまり、そういう話です。


 ……まだ分かってもらえませんでしょうか? 
 ならば、もう少し具体的な表現をしましょう。
 

 あるところにそれはそれは美しい女性がいました。
 その所作は水鳥のように軽やかで淀みなく、長く伸ばした髪は艶やかでまとまりに満ちていて、一匹の魚のように躍動感に満ちています。楚々とした立ち振る舞いは同姓であれ異性であれ、すべての人間を魅了してやみません。
 薄紅色の唇はすこし厚みに欠けていますが、切れ長の大きな瞳のキラキラした潤いがそれを補っています。もちろん、肌には何のくすみもありません。日光に照らされると、その肌の白さが際立ちますが、青白い血管が浮き出るような不健康さはなく、むしろはその裡に秘めた生命力を確かなものにするのです。
 そんな彼女が花畑に出ると、一匹の野ウサギがやってきました。花の匂いに誘われたのか、風のいたずらか、ひょこひょこと己の足元にやってきた野ウサギを彼女は抱きかかえて、ペキリとその頚椎を折ります。
 それから、彼女は嬉々としてウサギの屍を持ち帰り、そのウサギの皮をはぎ、血抜きをすませると、骨と肉を分離する前にその筋肉繊維の一本一本を丹念に観察して、同じウサギとの違いを確認します。
 それから、おもむろに立ち上がって、背後に広がる無数のコレクション――馬や犬、牛、羊などの家畜に留まらず、熊やら人間もいます――をにんまりと眺めて、ようやく捕らえたウサギをホルマリン漬けにして、コレクションの一角に加えるのです。


 自分でも何を書いているのか、よく分からなくなってきました。


 なんというか、文体から感じ取れる作者の雰囲気が南條範夫のそれとまるで同質なんですよね。淡々とえげつないことを書いて、読者の前に示すやり口がすごく似てる。
 時々、明らかに爬虫類の目になってるよ、このひと、という感じというか。
 ジョジョ第二部のリサリサ先生が最初の試練に向き合ったジョセフに見せた表情というか。屠殺場の家畜を見るかのごとき冷淡さには、一体、その胸中には何が渦巻いてるんだと思わず問い詰めたくなります。
 そういえば、「象られた力」に収録されていた「デュオ」でも感じたことを思い出しました。
 あの時は、「この作家はヤバイ。多分、表向きマジメにクラス委員をつとめあげながら、裏で虫を虐殺して、ほのかな全能感に酔いしれているタイプだ」と思ったものですが、いやはや年月とは偉大なもので、格段にスケールアップしてるものですね。