いろいろと読む。
どう読んでも少年漫画版ギャンブルテイスト「オークション・ハウス」に見えてしょうがないんですが、周りからはあまり賛同を得られない。
新キャラ登場の仕方が明らかに小池一夫テイストなんだけどなあ。すごいやつメソッド的というか。
あと、主人公が見境なくモテますよね。
敵→ラブの流れは一昔前のテンプレートなんだけど、今やると完全にギャグだと思います。
こないだのアビタニゼミの魔女さんとのラストの流れは芸能人のウェディングパーティみたいな演出でかなり笑いました。
今度はカウボーイルックなアメリカ娘なので、末路は予測つきます。
自分が振り回してるワッパにからめとられてなぜか亀甲縛りみたいに体のラインがぴっちりでて、「くぅ・・・」とか悔しそうな涙目でエロい感じになって、主人公がはらり、とほどいて、「ああ・・・」とか溜息もらして惚れるんですよ。
んで、次はチャイナドレスで中国娘だな。(スリットがエグく切れ込んで太ももムチムチの)
その次はイギリス娘。(乗馬鞭でピシーンピシーンとかやりながら登場。で、「お前は馬よォーー、お馬ちゃンになりなさいッッ」とか言う)
それから、学園制覇の夢とかほっぽりだしてぶらり地球・旅を始めるの。
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- ブラッドハーレーの馬車
確かに波風を立たせて、チリチリと焦げ付く感じがあるんだけど、連載の時期から逆算しながら読むとむしろ笑える。
これ要するにアレですよね。「無限の住人」の不死研究編の直後ぐらいにやってたやつですよね。
ていうことは、おそらく「不死研究をふつーの人間でやったらどーなるのか?」ってところから始めたんじゃないかな、とか邪推します。
で、「無限の住人」だと対象者が不死者なので当然ぶっ壊れないんですが、こっちはぶっ壊れるという。
そのためにふつうの商売女とか女性の受刑者とかじゃなく、壊れやすい女の子をわざわざ配置したりするのは、まあ、作者の悪趣味なので、amazonレビューでもキレまくってるひとがいるのは分かるんですが、「無限の住人」の不死研究編も「研究に携わるふつーの人たちがぶっ壊れていく様」のほうがそのあとの救出劇とか諸々の段取りよりはるかに気合入りまくってた(作劇的にもちょっと類を見ないぐらい超スローペースでテンポ悪かった)んで、ああ、脳内のサド先生が御降臨されていらっしゃるのね。としか。
おもしろいかっていわれると結構微妙で、心理描写はさすがにフェチが爆発してるせいか、キラキラ光ってるんですが、全体のエピソードとしては、リアリティのポテンシャルを高めようとして、随所で歴史性を挿入するんですけど、なんか薄っぺらい。一見淡々としてるナレーションから微妙に悦に浸っちゃってる感が伝わってくるので、かえってこっちが引いてしまうというか。
オチも確かに無難っちゃ無難でまとまってるんですが、そこで「全然関係ない政争で侯爵邸焼き打ち大作戦!」とか「びっくり! 侯爵様はホモ、どころかショタでした編」とか、徹底的に破滅して、マジでなんも残らないまっさらな世界に到達してたら、「ああ、無常よね・・・」と達観できたのに。
中途半端に溜飲がさがるとむしろがっかりだったなーとか。
おもしろい。とくにきのう何食べたは癒し系。
近頃、殺伐としたものに囲まれすぎなので、こういうのは喜ばしいですね。
アメリカ映画なんかでよくアメリカ的情緒を描いた映画*1がありますけど、現代の日本で日本的情緒を描いた作品があるとすれば、おそらく「きのう何食べた?」みたいなものなのかなと思います。あるいは「よつばと!」。完璧に印象論なんですが、ふつーに生きていくことのファンタジーみたいなのがいわゆる日本的情緒なのかな、と。中流階級のリアルにのっかるわずかな余剰が情緒と直結してる。シチュエーションでいうと夏場に田舎のばーちゃん家で水張った木桶に足を突っ込んで、親子並んでアイスクリームをナメるみたいな感じの。
こういうのって映画だと何になるんだろうな? 邦画あんま見ないからよくわかんないけど。