フルメタル・パニック!の最新刊を読む。
ここでまさかのグノーシス思想。まあ、現世否定はフィクションの世の常だけど。シチュエーションが色々できすぎてるので、*1、気づいてちょと楽し。
そして、随所で挟まれる繰り返されるチョイス&プレイ。
これはもしかしてゲーム的リアリズムってやつか!?
筒井康隆の新刊といい、フィクションはどれだけあずまんを必要としているんだ。
しかし、フルメタはほんとにスタンダードな話の運び方にこだわるなあ、と感心したり。
この巻でのあらましを書くと、
主人公とメカの成長っぷりパワーアップぷりを序盤でアピール。
収拾つけるために敵性組織を整形。
既存キャラの一つのクライマックスに向けた新キャラによる因縁付け。序盤終わり。
ユルい日常描写と主人公や周辺メインキャラの関係の整理。とくにメインキャラの関係の決着とジュブナイルとしての主人公の心境の変化。
物語の「第一原因:シリーズ全体のオリジン」までに到達するための大舞台と、そこで繰り広げられる劇(アクション)。
敵との一時休戦。緊張をはらんだ共同作業。
ヒリついた状態で緊張感を高めつつ、「第一原因」の意義づけをする。ガジェットのハッタリの強化、いままでの当たり前の「事実」がひっくりかえるプロット上のカタルシス。中盤終わり。
「第一原因」に到達して、次に「最終結果」までの道が開かれる。
「大型の物語=自分用語:いわゆる全体としての本筋のこと」に対して布石が貼り終わったので、「単独の物語=いわゆるその巻単位で語られる本筋のこと」のクライマックス。
余韻を残しつつ、終わり。
うーん、ベタだ。しかし、完璧だ。
このたぐいまれな強度の高いストーリィ廻しこそがフルメタルパニックの真骨頂だと思います。ところで、あとがきで作者が「外伝で他のキャラが本筋と同時進行でなにやってたのか? を書きます」っていってるのがなんとなくX−MENを思い出させます。X−MENって大型イベントのときなんかは、各紙で各キャラのストーリィが同時展開することがあるのですけど、そう考えると、そういう筋書きって、昔は「バラバラに展開していくなんて、変わってるなー」と思ってたんだけど、肉付けの終わった各キャラたちが一つのイベントに参加するときに用いるにあたって、かなり普遍的なやりかたなのかなーと思ったり。
*1:ソフィアとか過去および未来からの知識の「流出」とか