「PSYREN」が残念なことになった件。
ジャンプでなにが一番楽しみかというと、この作品。
00年代というものがあるとして、それにもっとも過敏に応えていると思う。
たしかに地味なんだけど、絵はシャープだし、ジャンプテンプレートを使いながら*1それに振り回されずに使いこなしてきていた点*2や、クリーチャー造けいも内藤泰広や冨樫義博の影響を垣間見せながらもきちんとグロかっこよくて、いい。
なにより奥行きのある画と、リズムのあるコマ運び。現在進行中のバトルは、イマドキ珍しい女キャラの羽のように軽やかなアクションが久しぶりに漫画で堪能できて満足。
だったのに、今週のラストで、やっちゃったなあ。
主人公の覚醒はねー、それじゃダメなんだよな。それはもうヴィヴィットじゃない。
あわせて、NARUTOの話もすると、これはNARUTOに対する強烈な不満でもあるんだけど、主人公が圧倒的暴力になって、我を通すことに対してデリカシーがなくなってくるとすごく目につくんだよね。
我を通すことにロジカルな筋道(ストーリィとしてのね。メタ的な物の見方として)があるとそうでもないんだけど、ナルトのロジックは、ナルト=個人的規範をふりかざす/それに一般的な正しいをかぶせる。
に対して、
敵対者=世界改変なんかの社会規則をふりかざす/個人的な正しいをかぶせる。
でしょ。
絶対、後者の方が面白いんだよね。スケールもでかいし。
だから、ナルトの仲間サイドの器のちっちゃさはひどい。ほら、暴力を振るうことについてのエクスキューズがないじゃん? たとえば、それは一言でいいんだよ。「我々はあいつらとは違う」薄汚い手段を使わない。正々堂々とシバく。それで、暴力に意味がでてくる。高潔な暴力はないけれど、最善の手段としての暴力を否定はできない。それは反社会な響きである一方、どうしようもなく社会の側面なんだから。*3
で、そのエクスキューズがないままに、暴力の根拠のないままに進行して、何事かを達成してしまうから、「てめえの暴力で得るものについて、キレイゴトで包むなよ」って思う。
一方、後者は同じ「暴力」の根拠を「正しい暴力」「正しくない暴力」で分けないから、「暴力」は「暴力」で、ただの手段だって割り切ってるからね。楽しい。
日本刀をブラさげて街を走り回ることに理由がなくてもいいけど、そこはやっぱり美学が貫かれてこそ、この世のものとは思えないほど艶めくわけで。
だから、サイレンで主人公に期待するのは、暴力の快楽に酔うことと、その内罰をきちんと知って、さらに正しいことを行う気概を抱くことかな。
そこはぜひ、90年代のシンジくんで止まっちゃわないでほしいんだよな。