色々と楽しんだよ。

 

 傑作の誉れ高きドラキュラ戦記をいつぞやに読んでから、そういや一巻読んでなかったなーとか思ったので、古本屋で購入。
 買った古本がおもしろい。
 この作品、手に取ったことのある人はご存じでしょうが、情報量がハンパない。なんせ同時代の有名人が虚実織り交ぜて一堂に会しているから、なんとなく知っているなーって歴史上の人物からぜんぜん知らないフィクションのキャラまで出てくる。
 で、当たり前ですがほとんどの日本人はそういうのになじみがない。というわけで、この手の作品にはつきものの巻末登場人物紹介があるんですが、これがまた、ファミリーネームをあいうえお順だから、使い勝手悪い。
 ので、今ぼくが持っている本の前の所有者が、それでなにをしたかというと、この人物紹介欄に、キャラの初出ページを全部鉛筆書きしている。
 結果、めちゃくちゃ助かってます。
 ありがとう。文化を継ぐというのはこういうことを指す訳ですね。

 SFというのかファンタジーというのか、ジャンル分けに苦しむ短編集。
 表題作はストーリー的な起伏は熱いが、SFかっていうとな、うーん。
Q「SFって何ですか? 私はこれをSFと解釈するのですが」
A「私にとってSFとは私がそう信じるものです。あなたが信じるものは必ずしも一致するわけではありません」
 「サンケンロック」とあわせて分類すると、Boichi大暮維人とか萩原一至の系統なんですよね。異常な作画クオリティ、描きたいことに対する異常な情熱。それ以外の放棄された作品群。サンケンロックはなにが描きたいのかあいかわらず見えてこないんですが、
HOTELを見る限りでは、喪失されたことを/から、回復させようとする儀式が繰り返し描かれるモチーフなので、ラザロとかキリストとかあのへんの復活劇をアメリカのうさんくささの反省期に入った現在にからめて、今時風(ループモノとか)にモーニングでやんねーかなーとか思ってたら、今週からモロにそんなのが始まったという。すばらしい。すばらしい。予知能力のごとき、ピンポイントさに自分でも驚きです。

 アフタで掲載中からずっと「がらん」だと思ってたんですが、表紙を見たら濁音不要だったので、恥ずかしかったです。ジャイアント・さらば!
 すごい作品が出てきたなーというか、巨娘の次がこれか。
 木村紺はもう化け物としか表現できないですね。
 テンポ、描質、キャラ、ストーリ−、リアリティに台詞回し。
 まったく隙がない。隙がなさ過ぎてかえってけなしたいんですが、その糸口すら見つからないという。
 

 この三連休に、実家帰ってて本の整理などしつつ、横山光輝の戦国時代シリーズを読んでました。
 「伊達政宗」でたまらないことに。
 虎哉禅師が! 政宗が! まるで文化人のようではありませんか!
 あ、でも、よく考えれば豊臣秀吉とか織田信長で描かれていた文化活動については省かれてたので、やはり野蛮の人だったのだろうか。
 へうげものは、クリエイターとパフォーマーが不可分だった時代、クリエイター/パフォーマー古田織部と突出したパフォーマー伊達政宗がコラボレートした今回のアホ出頭劇といい、実にいい時代です。
 そういや、利休はなかなか死なないなー。さすがに怪物よ。
 あのキャラの恐ろしいところは、通常の死亡フラグ(金蠅ぶんぶん)を自覚なしに踏みつつも、それとは違うところで、死を見据えながら活動しているところである。それゆえに死なない。立つべきフラグは別にあるのだ。ある種のフラグキラー。新たらしいキャラ造けいだ。

  • ファイアキング

 買おうか買わないかでさんざん悩んだあげくに結局、買った。
 ネットでは見てたんですが、どうも作者がネットで掲載することに主眼をおいているようなコマ割りと線(四角、大ゴマ、キャラはっきり。線は細めではっきり)を引いているので、単行本でどのぐらい楽しめるのか分からなかったんですが、ちょっと違和感残りながらも読めますね。しばらく続刊待ち。



そういえば、よく見たら、最近買っている漫画のほとんどが講談社だ。