数寄はよじれねじれてナンボでござる

 リハビリ的に色々書きたいと思うのですが、ワークライフバランスが完全に狂っている現状ではなかなかそうもいかず、埋め草という感じで問題意識なぞをだらだらエントリ。相当散漫で飛び飛びですが、笑覧ください。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51492535.html

選挙が近くなっており、大方の予想通りついに自民党が下野するなかで、じゃあ、ネクスト政権がなにを考えているのかという草案が発表されたとのこと。(元ソースはweb上にないため見れてない。どこにいったらもらえるんだ?)

 記事中の煽りはどうでもよかった(二重国籍参政権は本当に絡まっている点なのかが不明。若干、後述する)んだけど、その調子に熱っぽさを感じたので、*1書き手は誰かなと思い、リンク中でのソースであるヤフーのヘッドラインでは確認できなかったので産経新聞の元記事見ると記者が阿比留瑠比氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AF%94%E7%95%99%E7%91%A0%E6%AF%94)だったので、ああ、なるほど……とか。

 国籍法絡みは毎度何かある度、保守とリベラル、右翼と左翼でぐっちゃんぐっちゃんのすりつぶし合いが進行する熱い熱い鉄火場なので、バイアスのかかってそうな意見は信用しないようにしているのだけど、逆に言えばそれだけにこれから日本の節目に向かう中で変わること、変わらないことのいい平衡点のように感じたり。

 ちなみに経済という枠で捉えた場合、昨年(だったと思うのだけど)、韓国で二重国籍を容認する路線が国会に取り上げられた時のお題目として掲げられたように、人材誘致としての政策としては悪くないと思う。
 現行の制度では国籍選択をしてしまうと、種々の手続きが凄まじく煩雑であるというのは海外居住の日本人の話なんかでちょいちょい耳にする。実際、この辺りの事情から請願している人をweb上なんかでも見かける。
 手続きが煩雑だっていうことは、前例や基準がないということなので、本質的にどうでもいいお役所仕事に足をひっかけられて、いろんなロスが生まれやすい状況だってことだ。
 無論、この観点というのはある意味日本国内で完結しない仕組みになるので、国際基準を設ける協調が求められるだろうとは考える。

 一方で、参政権まで認めるというのはどうなのかしら。記事中の表現が本当にマニュフェストにまで盛り込まれるとなると、少し考える。
 そもそも基本的に政治に関心が薄く、お上に任せる気質の強い(現在の政権交代ルートも語り口は自民党の代替としての民主党という意味合いが多い)国民性で、地方分権という積極性を求めることがどこまでできるだろうかとちと疑問。
 民主党路線のなかで、重要な意味を持たなくてはいけない現実に働く労働者の政治的コミットメントも、経済の悪化によるリストラ以後の残った社員というのはともすれば複数人分の仕事量をもっており、ワークライフバランスがぶっ壊れている(私事で恐縮だが、給料カット喰らって、連日11時まで働いている我が身が実証例だったり)では、どこまで可能だろうか。
 そうすると外国人の地方への参政権のみが強烈な味付けとして残ってしまい、そこに地方分権が関わってくると、うーむ。まあ、おっかないなと右巻きな気分も沸いてくるのは無理もない。

 ただ、その煽りがなまはげ的に効くことで「ちゃんとしないと異人がくるぞー」的な反動として政治への意欲が生まれてくるのかもしれない。それは本当の意味での自発的な、正しい政治のあり方ではないかもしれないが、いきすぎたレイシズムに繋がらない限り、いっぺん痛い目みるのもアリかもしれないとか。(呪術的根性丸出しでどうかと思うが。そこまでいくならいっそのこと、在日特権の強化が地方財源を逼迫、ファック! 弱いことにあぐらをかきやがって! 的な金のむしりあいが開催されると個人的にナイス。実にムラ社会チックに土俗的で泥臭く、美しい)

 希望があるのは、インターネットを利用した選挙方式をとろうとしていることだ。窓口が広がれば、いろんなモノが錯綜しやすくなる反面、ブラッシュアップの参考材料としても有効となる。
 ここで速やかな反映モデルが出来れば、キャンペーンやイベント単位で議席がいい感じに減ったり増えたりするんじゃないだろうか。
 それを衆愚であるというのかもしれないが、そうして野党に緊張感が生まれるなら、良いことだ。(その意味では凝り固まった態度が散見される該当スレのやりとりにはうんざりさせられる。血の巡りが悪くては肩が凝って仕方ないだろうに)

 ところで、こういう考え方を披露すると反権力的だアナーキーだよねと薄ら笑い的に言われることがあるのだけど、そういう場合、だいたいペイするしないという勝ち馬にのるかのらないか、というケースの中で話していることが多い。
 あえて否定したり肯定したりしないのは、そういった意志決定のモデルの中で行動しても仕方ないからだ。

 今のマスコミを見ていれば分かるように彼らは「死に票」を極端に嫌う。なぜなら、彼らが政局において勝ち馬にのれないことはキックバックを期待できないということと同義だからだ。だから、今のように貸し付けのためのプロモートに躍起になる、
 また公明党が選挙上手と評されるのは、公然の秘密たるバックボーンである創価学会が常に公明党からのキックバックを約束されているからだ。*2
 だから、彼らは死に票を作ることを嫌い、先の都議選において候補者を絞りきって、全勝する今後のキャスティングボードを握る上での強烈なデモンストレーションを行ったりする。

 今回のように、本来なら諸々の(投資的ともいえる)活動が必ずしも勝利につながるかどうかが分からない状況で死に票が増えることを良しとしない者達は多い。
 なんでかっつーと、キックバックを約束されるには相応のパワーがある立場が必要であり、つまりある組織の意志決定に関わっており、その組織の、あるいは組織における浮沈がかかるケースが多いからだ。ここでペイできるかどうかの見極めは大事だ。

 しかし、そういう組織の論理なんぞどうでもいい人間にとっては、議席の奪い合いを第一のゲームルールとする民主主義において、このゲームのパワーバランスをとるには、議席を上手いこと配分する必要が在る。歴史をひもとかずとも一党独裁では、ロクなことにならんのは周知の通りだ。
 なので、地方分権をうまくやりつつ、外国人参政権などで緊張感が生まれるなら、それはそれでバランスがとれていると言えるのではないか。
 また、その際、重要なのは死に票を恐れないことなのだ。ワケは分からんがなんだか強い勝ち馬に確実に乗るのではなく、むしろ、一本筋の通った負け鞍に賭けてみるのも一興。それが、自分の望む方策と合致するならなおのこと。つーか、それが政治の本道だよね。戦術ではなく戦略で、中期計画ではなく長期計画で行動しれ。信じればいつか夢は叶うのさ!(藤田和日朗スマイルで)
 「あなたの一票」なんて広報に大仰にうたわれるが、そんなの元々たいした力ではないのである。
 一票で変わる世界なんてそうそうないのだから、安心して好き勝手振る舞うといいよ。マジでマジで。

*1:特に日教組、韓国辺りの記述に。論旨的にはあんまりいらなさそうなディテールなのに要所でポンと出てきてる

*2:組織の総体としては、だろうと推測する。先日ニュースにもなったが、個人としての学会員の投票へのモチベーションが昨今、落ちつつあるのはこの党からのキックバックが目に見えにくいからではないか

 「トランスフォーマ−・リベンジ」を見たよ。

IMAX川崎にて。

公開日が14日までだと知ったのが今日だったので、あわてて仕事を切り上げて急ぎ足で向かう。前作はBLU-RAYで視聴済み。(超かっこいいけど、寝る。超かっこいいけど、目と頭が痛くなる。超かっこいいけど、何やってるか分からないなどの事前情報により最近まで見てなかったのだ)

開始早々、大学生になる主人公サムとバンブルビー、両親、彼女の関係についてざっくりおさらい。
この辺りが物語のしっぽに対するフックであり、中盤以降ほぼ完全にオミットされるドラマを綺麗に着地させるよう、ハリウッド映画として如才ないところを見せつける。
ま、ドラマなんてのはどうでもよろしく、後は一気呵成に流しきる「戦力投射ゲーム」の幕開けである。

 ロボット、変形、ミリタリ、破壊、エロ、グロ、下ネタ。

 こんだけ大ヒットしているのに、要素を並べてみると意外なほどニッチな筋だと思う。もっとも、似たような内容を手がけているエヴァンゲリオンもヒットしているので、高品質なニッチはロングテールを生むんだよ! とマーケティングで誰かぶち上げてくれそうではある。
 
 劇中の破壊規模や演出ではエヴァが遙かに軍配があがる(なんせ対象が「蒸発」するのだ。破壊どころの騒ぎではない)わけだけども、トランスフォーマーが諸々の欠点(特に方々で言われている寄りすぎカメラ、テレビで見る分にはそんなに気にならなかったが、劇場で見るとなにやってるかマジわからん)を補ってあまりあるほどになにが素晴らしいかというと、でけえロボットが変形して高架をすりつぶす(マジで!)、ついでに車を挽き潰す!(ひでえ!) そして、VSマジ軍隊、飛び散る泥、火花、コンクリ、岩、金属、あと人間! 吹っ飛ぶ建造物、文化なんてくそくらえ! いいからB-1爆撃機飛ばせ! 爆弾もってこい! 雨だ! 雨を降らせ! 地面を吹き上げるぐらいの一心不乱の爆弾雨だ! 
 そしたら、爆発、爆発、爆発。その破壊が投射される対象のこれらすべて現実に所与として存在するものであり、IMAXの超高画質画面上で、アニメじゃないほんとのことが起こっているわけである。正直、映画を見て、口をあんぐりしてしまった。初経験である。我にかえった瞬間、なぜか思った。「正直、すまんかった」と。

 んで、エヴァトランスフォーマー、マスプロダクションとしての「破壊」を詰め込みまくって、すさまじい映像物量に到達しているこの二作品にピタっとハマる言葉をid:FUKAMACHIさんが見事に放った。(http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090711
 天使映画である。


 制作者はもはや自らで統御できないほどの欲望を、欲「望」ではなく欲「動」と変え、フル投入した結果、もはや人類の想像力の地平線で神とのブリッジを築いている。何の神との間に? なんだろう。分からん。暴力の神か。神は万物に宿るわけだし、こと暴力に神はしょっちゅう宿っている気もする。
 エヴァ使徒)にしてもトランスフォーマーにしても、彼らは天使なのである。

 
 「トランスフォーマー・リベンジ」終盤でディセプティコンの兵隊が天から落ちてきて、横たわる聖者を破壊しようとする。救世主の復活を待つ人々の応戦。そして、選ばれしものの死と、復活。人にもキリストがいるようにロボットにもキリストがいる。二者の合一によってはじめて神との契約は成り、老いたものは若者が引き継ぐ。背教者に制裁はくだり、平和が訪れる。
 終盤、ドラマが消失して神話が顔をのぞかせる辺りもエヴァとよく似ている。人の行為は
無効化され、彼らは自らの代行者をたてざるをえなくなる。
 そして、この「行為」の媒介としての天使たちが所狭しと画面上を踊りまくる瞬間、意志の代表者であるはずの人間はただの歩き回るシミにすぎなくなる。ラッパを銃に持ち替えて、挙げ句、近接格闘戦に突入。結論:熱くなりすぎた天使のガチファイトは人を人とも思わなくなる。
 ここでエヴァはガチファイトを特定人に託してしまう*1が、トランスフォーマーは大勢でバックアップする辺りにお国柄が見えて良い。
 あと、中盤のテレビ顔さらしで、魔女狩りがはじまってもおかしくないんだけど、あんまり悲愴感がなかったりする辺りとか。ラストでも日常への回収がとくにわだかまりもなく、するりと落ち着く。
 この無頓着さ。
 さすが破産しても気にしない国だけあるぜ!
 そこで日本版トランスフォーマーがあったとしたなら、どうなるかと考えて、ちょっと暗澹たる心地になるのはイヤなものである。

*1:シンジに世界が委ねられる所もそうだが、三号機絡みの事件で、ミサトがいなくなった時のネルフ職員のあの使えなさとか

 エヴァンゲリオンの話・1

「なんだかんだで二回観ているわけだよね」
「さすがに二回目になると冷静に眺められますね。一回目は消化するだけであっぷあっぷだったのに」
「さて、今回の話だけども、まずゲンドウの視点で話してみます。
 前回で派手に失敗したゲンドウさん。そもそも彼のモチベーションというのは、喪った奥さんを取り戻す&人類をある到達点に導くことだった」
「その到達点についてはいまだに議論があるよね」
「そこはどうでもいい。目指したのが、エヴァを中核としたシンギュラリティだろうが、初号機を一種のエピタフと見なす人類モノリス化だろうが、ブラッドミュ−ジックだろうが、要するに人類を革新することで一致している。どうしてもソリがあわないゼーレと一定の線までつるんでこれたのも、この到達点が相当、似通っていたからだ。
 そんな彼が目的を両方かなえるために考えたのが、奥さんが取り込まれた初号機をすべての計画のベースに敷くこと。
 ここが大前提。
 こうすれば人類の革新は可能だし、その事至れば、魂を回収することもできるだろう。そのためには器がなければならない。勿論、おっかねえ化け物じゃなくて、ちゃんとした生身ベースで。
 ということで、お人形を作って、体裁を整えていくことを思いつく」
綾波レイさんのご登場ですな」
「ところが、ゲンドウさん。そのうち、この人形と奥さんを同一化してしまうようになる。その結果、この人形、実際の所、一個の個体ゆえに投射された情がのりうつってしまい、ついには自我らしきものを持ってしまう。
 ここで、「ダメだ、こいつはもう人形じゃねえ!」とぶっ殺してしまえば、終わっていたところを、「これはこれで……」となにをトチ狂ったか、男やもめのゲンドウさん、この人形改めレイに、必要上に接する傾向が見受けられるようになる」
光源氏計画発動! 第一の失敗点やね。結果、赤木家の女との確執も生むことになる」
「さらに、ゲンソウさんには計画の要になる存在があった。初号機のなかの奥さんを呼び覚ますためには彼女の、自分の子供の力が必要だったのだ。ところが、その鍵ッコがまた扱いにくいことこの上ない。広い意味でのマインドセットをしないままほったらしてきてしまったツケが爆裂しており、とにかく使えないヤツに育ってしまっていた」
「親の顔が見てみたいですな」
「これが第二にして最大の失敗点となるわけなのだけど、その辺は後で詳述するとして、とりあえずだましだまし運用していくゲンドウさん。が、またしても問題点が出てくる。今まで上手いことやり過ごしてきた上役の目についに止まってしまったのだ。このゼーレとかいう上役とはどうしてもソリがあわないゲンドウさん。首根っこ押さえられているが、そこは巧妙に立ち回ってみせて、ついには一時的に出し抜いてみせる」
「加持とかアダムとかあの辺の話ね」
「それとダミーシステム。これらを使ってやりくりすれば大部分のタスクを消化できるんではないか。そう思った矢先に」

つづく

 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきたよ。


 絶賛しかない。
 最近のハリウッドアクション物っぽいチャキチャキした編集を取り入れた得意のフリとスカシとか、「怪獣大暴れしてリアル軍隊が出張ってボコられたので、じゃあ、巨大ロボットに変身してシバくぜ!! ヒャッハー」とか、上映直後のスタジオカラーのロゴインでウルトラマンとか、庵野成分が満載で、フェチっぷりが全力すぎる。
 基本的にこの映画に何を期待して見に行くかと言われれば、それは単純なスペクタクルに他ならず、シナリオがどーだ設定がどーだなんだというストーリー的な考察はある程度、ライトノベル、少年漫画、神秘主義、SFスキーの遍歴を経過すると、シナリオの大枠は「キリストと偽神による悪の世をからめた構造ミステリを由来しつつ、いわゆる「存在の革命」へと誘導していくストーリー」であるのではないかと現状では思っており、この手の宗教的幻視をラストで乗り越えてくると嬉しいのだけど、実際どうなんだろうなあ、という点で関心を払っている程度で、それよりも、ギミックや背景、アートワークの鋭さが神がかって演出されており、そこがなにより素晴らしいわけで、たとえば、

 前回でも今回でも、同じエヴァを取り巻くディスコミュニケーションというテーマにおいてターニングポイントとして扱われている、三号機の酸鼻を極める事件の前提において、そこまでたっぷりと幸せを積み上げながら、その裏側ですでに我々が知っている「不幸の予兆」をフリとしてちりばめておいて、実はその予兆は「ハズレ」だったとスカしてしまい、もっと重大なインパクトを与える事態にもっていき観客を戦慄させ続けるところなんかは、シナリオの妙もさることながら、基本アッパーなまま絶頂と萎縮を繰り返す異様なリズム感があって、そこにスタッフのものすごい悪意がしたたっており、大変ナイスでございました。

 あと、前半部分のテンポの良さに驚く。新作になったことで、悩み、恐れることで毎回モタついた作劇の制約(それは前回のテーマでありまた制作上からも必要だったわけで)から解放されて、もうすげー状況が動く動く。
 またシーン毎の切り替えがいちいちツボを押さえており、キャラクタの芝居があるピークに達したら、そこで余韻をあまりもたせずにスパっと次のシーンに引っ張っていくことでドライブ感をキープしつつ、個々のシーンを切断することで抑揚も生み出している。

そもそも映画におけるカット割りや編集というのは不要な情報を刈り込んで、意味を作るためのものなのだけど、全身これ意味でのみシーンが作成されるアニメにおいてこそ、編集という技術は真価を発揮するのかもしれん、と本気で思ってしまった。

今回は作劇の大部分において、キャラに対してフォーカスされていて、シンジ、ミサト、レイ、ゲンドウ辺りの描き込みがまた一段と豊かになっており、それに対してアスカ、加持、新キャラであるマリは表層に留まっている。
この辺、切り捨てるところを切り捨てるトレードオフのおかげで前回感じたたるみが大分改善されたと思う。

 キャラに関しては、色々楽しませてもらっており、相変わらずエロいミサトだったり酒場で目のやり場に困ってる加持なんかも初めて好感が持てた。
 アスカはいろんな事に一生懸命なんだけどどこか空疎でなんとなく外側にぽつねんとたたずんでいるような有様なのが可愛らしい。トリックスター:マリは分かり易く口数の減らないガキンチョ陰謀家で好ましい。レイは、はやく人間になれそうでよかったね、という以外にはまあ、いつも通り。
 あと、ゲンドウちんは、自分で追っ払った息子がまっすぐな目をして帰ってきて、声を上げた瞬間にたじろぐ辺りがちょっと萌えだ。
 ゲンドウちん、ほんとダメなお父さん。そらエヴァの中のオカンもブチギレですよ。てめー、息子の仲間ぶっ殺しかけやがって、ダミーなんて受け付けてやらねーって怒られるに決まってる。

 それから、シンジのモテ男っぷりは異常なのだが、友達や家族や同居人のためにお弁当をつくってあげて、細やかなフォローもできる! 純朴な少年らしい恥じらい。お父さんに認めてもらいたいという一途な気持ち!
 なにこの胸キュン。
 そらモテるわ。これはもう、モテても仕方ない。
 バカな! あのシンジくんが、ここまで!


 「こんなこともあろうかと」言わんばかりに次々飛び出してくるギミック周りは今回も素晴らしく、シンジ君とミサトのユニゾンっぷりも随所でビシバシ決まっていて気持ちいい。しかし、あの都市の建築計画を出したヤツは頭がちょっとおかしいんではないか。どこからあんなノウハウを……


 さて、もはや恒例になりつつある最後半の詰め込み方は今回も尋常ではないほどテンション高く、鼻血ものだったわけだが、基本的に流れはすべて前作の踏襲というか、再演であって、金と手間のつぎ込み方もハンパない分、これから何回も見たくなるクオリティを保っている。
 
 パロディも忘れておらず、ぱっと目についたのは、第十の使徒が零号機をバックリいくところなんかは完全に寄生獣だったし、二号機はライダーキックだった。冒頭ではなぜかウルトラマンだし、ビーストモード発動して、ぶっ潰された二号機や覚醒した初号機はマンガ版、劇場版両方のナウシカ巨神兵を思わせる。


 さて、次回はラスト「Q」だけど、今回も確実に大ヒットになるだろうから、がっつり金と時間と手間をかけて、いいもんに仕上げて欲しいところである。
 全記録集とblu-ray、はやく出ないかなあ。

 日々のこと。

色々リハビリ中。

  • ipod touchのOSバージョンがあがってbluetoothが使えるようになったので、ワイヤレスレシバーを買った。

これでカメラがあれば用途として仕事でも趣味でも完璧なんだけどなあとか思いつつ。
ソニーエリクソン製のHBH-DS250。ヨドバシ秋葉原で購入。9980円。
店頭のヘッドホンでペアリング実験したところ、レシーバー側のコントローラが使えなかったんだけど、自前で持ってたヘッドホンだとコントローラが使える。もしかしてヘッドホンに依存するのかも? ちなみ帰宅した後、手持ちのSHURE製ヘッドホンだと音量の設定幅は問題ないが、ジム用に最近買ったソニー製防水ヘッドホンだと最小でもかなり音量がでかく、調整の幅が微妙に狭い。よく分からんち。
それから、hand breakなんかで取り込んだアニメなんかを見てると、音声と映像が必ずずれる。エンコードにミスはなし。ブルートゥース固有の問題。
前から、ちらほらネットでは話題になってたので、まあ、しゃあないか、という感じ。映像見る分には、手持ちしてるから直結しても構わんしな。
あ、あと横持ちして文字入力できるようになったのはいいですね。文字が打ちやすい。

  • 東プレのキーボード買った。

realforce108UBK ツクモの本店で買った。19800円。
マイクロソフトのキーボードが潰れたので、買い換え。まあ、いっそ高くても保ちがいいやつにするかと購入。最近、腱鞘炎気味だったのでストロークが浅いやつがいいやと思ったので。
打ちやすい。というか、すごい。うおおお、すげえ! なんぞこれ! キモいぐらいすらすら打てる。なんだこれ。
が、ストロークが浅すぎて、逆にどのへんで止めたら最速入力できるのかとか考えてしまい、途中でキーボードを深く押さずに変に止めようとして、かえって疲れる。慣れるとかなりラクそうでおもしろい。

  • 最近、何読んだっけ。

新世界より
 とても楽しい。イヤンな地獄と(精神的物理的)ファックな世界の話。貴志先生はアクチュアルであるなあ、と思った。割と一生懸命読んでしまった。ボノボのグルーミングから閉鎖環境のストレス解消を結びつける所は特に興味深い。感想は後日。

「からん」2巻
 実にいやらしい話作りでニヤニヤが止まらない。NHKドラマをハックするというかファックするというか。
 単体でどんなメディアミックスも超越した全方位的な描写が投入されており、尋常じゃないほどのテクニックが詰め込まれているので、このままいけば間違いなく漫画史に残る作品。必見。

竹光侍
 結局、全巻そろえてしまった。松本大洋はいままで全部漫画喫茶で済ませてきたのに。
 脚本にビッと筋が通っており、まったくもって面白い。情緒のうまさはよしながふみに匹敵する。素晴らしいカタルシスがちりばめられており、読むだけですでに喜び。

「魔剣X」
林田球の漫画。いまさら読んだ。マガジンZは惜しいことをしたよなあ、という気分から。ジャバウォッキーもいつの間にか終わっちゃったしな。どっか拾ってやってくれないかなあ。ジャバウォッキーだけは。

 コードギアスの話・1

「ようやくコードギアスをすべて見たわけなのだけど」
「またこれは……遅い話で。頭こねくりまわして不幸を語る時代はとっくに終わっているのに。今はすでにマクロスフロンティア、新エヴァ辺りの絵的に豊かな、快楽原則がベーシックだよ」
「ま、いいじゃないか。その辺りは後で話そう。コードギアスをどう捉える?」
「まずかわいげがないよね。あらゆる面でクレバーすぎて。
 マクロスフロンティアがスタッフ全員の愛情によって祝福された作品なら、これはスタッフ渾身の悪意によって誕生した鬼子です。宇野常寛がこれをもって、お得意のサブカル=現実の追認論を展開したがる理由も分かるぐらいに。
 舞台は現代。思考様式もそれに準じる。が、世界的にはおおむね絶対王政・拡張路線の帝国主義が敷かれており、そこでポンと嘘くささが出てきている。ここのファンタジーを塗りつぶすために、[競争社会を奨励しつつ、その実プレイヤーが持っているリソースの差が著しい][毛唐に蹂躙される日本人]ていう状況を放り込んで「おいおいちょっとちょっと」と突っ込ませる。フィクションの補強のためにメタレベルまで視野に入れていて隙がなく、実に黒い」
「まあ、トレードオフの世界だよね。だから契約がキーワードにならざるえない」
「契約が嫌いな中二病なんていません!」

 以下、別エントリにゆずる。