知り合いらと、本当にとりとめのない話をしたこと。
長いので、羅列書き
- 最近、本当に「マネーの拳」がおもしろくて仕方がない件について
「劇中概況。
社長と副社長とが上手く行っておらず、副社長は敵対企業と内通の疑いあり。そんな中、社長は新たな仕事を託す。やましいところがあるため、社長命令をどのように解釈するか、懊悩する副社長」
ここで持ち出される手法は、戦国時代の合戦風景。槍持ちと騎馬兵が背後に控える副社長の図。
副社長は気付く。
――そうか、いざとなれば、社長はオレを後ろから刺すつもりだっ!
実際に味方からグッサリやられる副社長。(画面はイメージです)
その泥臭さと汗臭さとばかばかしさ。
「ヤバイ! これはくだらない!」
絶賛である。
- 最近、ネット界隈で勃発したコミケ論争について
A「すごいよね、政治」
B「政治なの? あれって」
C「え? 政治じゃないの?」
- この後、なにが「政治」なのかを朝までしゃべり場。
- 結論。情報が入り乱れた状況下で、ジャーゴンを駆使して丁々発止の鉄火場で踊る連中の姿をジリジリした熱い視線を向けるものが大勢いる状態を「政治」とみなす。
C「時期的にもまさに『飛んで火に入る夏の虫』よね。あっちでボーボー、こっちでボーボー」
B「おれさー、JSFの中の人ってうさんくさくって好きなんだよね」
D「それは褒め言葉として?」
B「褒め言葉として。だってさー、前のジュゴン騒動*1とかあったやん?
あん時もさー、テメーの身内が『あいつは断じて環境保護団体じゃねー』*2っていったら、それがソースでもうオッケーですよ。
今回の騒動も現場をお仲間の「早稲田の論客」って人が目撃したら、ごっくんこですよ。わお、これがメディアリテラシーってヤツですか」
D「別にスタンス表明として間違いじゃないんじゃないの? その証言って事実ではあるんでしょ? ウソじゃないんだろうし」
B「えぇー、なーんか納得いかなくねー? だって、お仲間の話ですよ?
『お前はそいつらのことを知ってるかもしれねーけど、オレはそいつらのことなんて何も知るかよ。オレはお前じゃねーんだから、お前がなんでそいつらの言うことを事実として呑むのか、まず語ってくれ』ですよ」
C「えぇー、そこまで相手に期待すんの?」
B「いや、まあね。いいのよ? 別に。
こっちが耳を塞いで目を閉じればいいハナシなんだし。でも、そういう無関心をこっちに期待するなら、
じゃあ、お前も口をつぐんで、ヘンな踊りをやめろ、とは思うわけ」
C「どうでもいいじゃん」
A「つーか、これに関心あるネット住民のほとんどの今の心境って『ええい、どーでもいいから、誰かまとめを出せ、まとめを!』ですよ」
C「だから、ARTIFACTの中の人に期待すんだろーね、みんな」
- 新ターム「まとめ脳」について
- いわゆる「事実」が軽くなったよね。という話。
- トラフィックの増大とアクセシビリティの拡張。wikiはリテラシーを殺すのか?
- リテラシーを殺しはしないが・・・、という方向で一致。
- つまり、お手軽簡単そのままその日の会話のタネになるネタが蔓延する今、情報の安全水域までのアクセス権は誰にとっても無料になった。多くの人はそこで安堵する。事実確認を共有できる喜びがそこにあるため。
- この安堵は、不安の裏返しでもある。情報量の増大とは、結局のところ、「なにを信じればいいのか分からなくなる」という心理的リスクが付きまとうため。
- 先述のJSF氏が身内の証言を信じ、我々がそれを胡乱に感じるのは、一般人における価値基準がマルチであることの表れではないか。それはつまり、一般人にも知恵がついてきたということ。
- すると、リテラシーには異なるレイヤがあるのではないか。
- しかし、コアなリテラシーが大勢にとり達成されることはないだろう。それを為すには、情報の窓口を個別に掴むコネやら情報を選別する知識やら、求められるものが大きすぎる。
- そんな軍属か研究員のごとき専門職めいたことをやるは、普通の人間にはちょっと荷が勝ちすぎる。
- また、マスなリテラシーも、「オレたちはちょっと扱いにくいぜ?」といううぬぼれによって、単純に殺される。人間、なかなかに業の深いもんである。
- ところで、そうなると、第?次オカルトブームの到来を期待してしまう。
以下、次回。